決戦の時
翌朝、気を取り直した一行は対策を検討し、いとも果断にしてイージーなる対処を思いついた。
「あの町に行くのは止そう」
そして、オクスリの海に沈んでいない町、この際だから村でも良いとして、本物の世界に属する人々を探すことにした。しかし、結果はネガティブであった。もはや、オクスリの海は世界中を飲み込んでしまったのだろうか。
今日もまた、ナウシカたちは、世界の残存を探して山の中を旅していた。先頭を歩いていたナウシカは、道に背を向け大岩に額を当ててしゃがみ込んでいる男を発見した。それはもう、この人は髭のために存在しているのではないかと疑いたくなる程の立派な口ひげ、カレーとか食べるとどうなるのだろうかと心配になる程の立派な口ひげを生やした、貧弱な体躯の初老の男であった。
「あなたはニーチェさま? かーさん虎からお噂をうかがったことがあります。たしか、大変に立派で独創的な背後世界をお持ちの方とか」
「来るな! 近寄るな!」
「まあ! すっかり怯えてしまって! お可哀想に。あなたの高貴な御思想では、人気のない電話ボックスの中でピッチリしたタイツに履き替える新聞記者を理想とすると聞いていたのに」
「なにも分からぬくせに、小娘が!」
「あなたは身体の大きさでその思想の値打ちを判断するのですか? 気の毒に、こんなに怯えてしまって。でも もうだいじょうぶ。この手にガジッと噛みつきなさい、ニーチェさん。フフフ。こわくない。こわくない」
「小娘、あっちに行け!」
「ホラ、こわくない。さあ、ガジッと」
ニーチェはその拒絶がとことん無視されると、大岩に額をこすりつけ、その中に身を隠してしまった。
「まあ! 天の岩屋戸!」
自分も頭を抱えて震えていたことを棚に上げてのナウシカの振る舞いには問題があるのだが、それ以上に、この発言は不用意であった。 遙か東の国で、身支度を調えた恐るべき神はその住まいを離れ、アリタリア航空のカウンターへと向かったのである。しかし、恐るべき神の到着はまだ先のことであり、ナウシカたちには、パクスオクスリーナと対決する時間が残されていた。
先に攻勢をかけてきたのはオクスリーナ達である。彼らは攻撃を企んでいるつもりはない。ただひたすらに、ナウシカと心に傷を抱えたその仲間たちを心配しているのであり、みんなそろって、こんなに大勢で説得するのだから、必ず分かってもらえるはずと信じているのである。
山の頂から見回すと、地平線はすべてオクスリアンの大群で占められていた。彼らは、ひたひたと裾野めがけて押し寄せてくる。そして、情け容赦なく斜面を登って押しかけて来るのであろう。逃げ道はない。
ナウシカは戦うつもりである。どのように、という策はないのだが、すでにその目は怒りに燃え、死んでも殴り続けるという堅い決意でその拳を握りしめている。
世界を破滅に導く絶望的な反撃策を持ち出したのは処女マニアのユニコーンである。統計的には当然のことであるが、攻撃側には多くの非処女がいたのである。ユニコーンは巨人の群れを召喚した。
「湯葉さま、あれは人食いの巨人たち。そのうなじの他に弱点を持たず、すべての人々を喰らい尽くす。食って吐いて食って吐いてローマ人がしたように、否、味わうことすらない無意味なお食事。でも、何故にユニコーンがこいつらを操れるのですか?」
「この巨人は生殖によらずに増える生き物である。そのあたりがユニコーンに気に入られるのだ・・・と言えばそうなのだろうが、いかにも無理がある」
「成る程。世界の理は真に深いものなのですね。でもね、ユニコーン、この巨人は気持ち悪い」
「そうね、確かにそうね、ナウシカ。それでは、巨大ペンギンの姿に変えてあげましょう。こうすれば平気でしょ?」
「まあ!なんて素敵! ありがとう。これならば、頼もしい味方。ユニコーンよ、この巨大ペンギンはどのようにすれば攻撃に移るのですか?」
「あなたが右手を高く上げ、そして食い尽くせと命じながらその手を振り下ろせば良いのです。ナウシカ、次は食べ尽くせ。」
「まず、手を高く上げてと、えーと、それから?」
「ナウシカ、いけない!それはだめだ!」
「どうしたの? イルマ」
「だめだ! ナウシカ! それをやったら祖父と同じになってしまう。それは大量殺戮」
「違うよ、イルマ。ヒムラーが殺したのは懸命に生きようとしていた人間。でも、あれは人間ではなく、オクスリで動いているだけの偽の生き物」
「だめだよ、ナウシカ。あの男だって、これは人間ではなく単なる処分すべき対象だと思い込もうとしていたのだ」
「だからイルマ。あなたのお祖父さまは間違っていたの。お祖父さまが殺したのは人間。でも、これは違う。偽物は許されない。わたしはやる!」
しかし、ナウシカはその右手を振り下ろすことができなかった。それはイルマの言葉に説得されたからではなく、もたもたしていたために、オクスリアンの大群を単なる群れとしてではなく、ひとりひとりの個体として識別できる距離まで近づかせてしまったためだった。
「湯葉さま、私にはできない。あんな小さな子供もいるのに!」
「そう、できるはずがない、ナウシカ、だって猫を抱いている子もいるのにね」
黒猫はナウシカを慰め、イルマはほっとした様子である。湯葉はなにも言わずに静かにナウシカを抱きしめている。ここで苦沙奈が、普段の彼女らしくない台詞を言うのである。
「悪いのはあの者たちではなく、あの者たちをあのようにした黒幕」
都合良く展開しすぎるのは考えものだが、その時、オクスリアンの群にひとり先立ち斜面を登ってくる姿があった。それは知性的でとても美しい女性。彼女は湯葉さまのマントに包まれているナウシカに、静かに話しかける。
「湯葉巻きの乙女ナウシカ。あなたの怒りは、あの人たちをその世界に導いた人間にこそ向けられるべきです。そう、当にこの私が世界をパクスオクスリーナに導いた張本人、何を隠そう、大統領首席補佐官のクリーヴェッジ」
ぐっと胸を反らしたクリーヴェッジを見るナウシカの目に、怒りの色がなかったと言えば、それは嘘になる。クリーヴェッジの胸の谷間は、それはそれは見事だったのである。しかし、ナウシカは答えた。
「私はあなたに怒ってはいるのではない。この私の小ささに怒っているのだ。姿を見ることができる今となって、あの偽物を滅ぼすことができない私の弱さが情けないのだ」
この発言は、クリーヴェッジの課題解決能力を刺激してしまったようだ。
「ああ、ナウシカ。姿が見えてしまっては、巨大ペンギンたちが人々を食い尽くす惨さが耐えられないのですね。わかりますわ。それならば、これからシャイアンマウンテンの基地に行きましょう。あそこからなら、スクリーンに映る軌跡を見ているだけで全部済みますから」
ナウシカは乗り気である。しかし、イルマは必死で止めるし、黒猫も「猫が巻き添えになります」と反対している。ユニコーンは「ペンギンいらないなら、私、帰る」と拗ねてしまう。さっきまでは、ナウシカの弱さを寛大に許していたのに、なぜこんなにつむじを曲げてしまったのかというと、おそらくクリーヴェッジの処女性の問題なのであろう。湯葉さまは我関せずとパイプを弄んでいるだけで、いてもいなくても同じ。 イルマは、その生涯で初めて、神というものに祈ることになる。
「ああ! 神様! 大天使メタトロンであれオリエントの女神 'Uzza さまであれ、どなたでも結構です。どうか、ナウシカを、この恐ろしい過ちからお救い下さい!」
イルマは心の底から祈ったのではあるが、そう、喩えるならばパトラッシュに伴われた少年ネロが布に覆われたルーベンスを見上げて、その短い生涯の最後に「ただ一目で良いからこの布の向こうを」と祈ったように、心の底からひたむきに祈ったのではあるが、 しかし、残念ながら普通の神々は、ナウシカという存在をちょっと苦手としているのである。
決断を迫られ、内心焦っているナウシカの気持ちも考えずに、こんな時に苦沙奈のいつもの発言:
「見るに堪えないって言っても、ナウシカ、吾が夫となるものは、さらにおぞましきものを見ることになるんだ」
さすがのナウシカも、ちょとイラッとした模様。
「ああっ、苦沙奈、もう、夫ができたら最初にバーンと見せちゃえば良いんですよ、バーンと! それに、わたしだってボーボーだし。ほら、ご覧の通り!」
まさにその時、キャリーバッグを引きずる音と共に、サングラスをかけた長身の女性が現れる。
その立ち姿から発するは歴戦のスペツナズ指揮官の如き威圧
されど、ささやきかけるかのように微かに開いたその唇は
さながら南の国のフルーツのよう
求肥のようにふにゃらかなおなかは強靱な筋肉を隠し
寄り添うふたつの丘はほにゃらかな谷間へと誘う
ジパンシーのサングラスに隠された瞳の奥にまたたく光は
「どこを見てるのだ」と問うお怒りの火花
彼女が右手を添えるだけで
[今や迷惑なだけの存在となり果てた]キャリーバッグでさえも
その往年の実力を取り戻し
[半世紀前のスチュワーデスのように]眩しく輝く
そのお身体はジパンシーデザインの布きれで覆われ
獣の如き男共もその足下に跪くや
少年ネロの瞳となりて切なる祈りを繰り返す
「天の岩屋戸」の遠き響により午後の眠りから目覚め
「ほらご覧の通り」の所作により召喚されし命
究極の天然系にして「姫」の称号なき実力派女神
「あめのうずめのみこと」がその姿を現したのである。
「チッ!」と舌打ちをしてユニコーンは、「さあ、みんな、おうちに帰りましょう」と言うと、巨大ペンギンたちを連れて空に消えてしまった。「あめのうずめのみこと」とユニコーンは同じ世界には住めないのであろう。
「あめのうずめのみこと」は初対面のナウシカに、人類の運命を左右する決断に苦しむ戦士ナウシカに、いきなり語りかける。
「ナウシカ、あんみつ食べに行こ」
さすがのナウシカも、大量殺戮の決断を前にして、あんみつ如きに釣られるわけはないのだが、「あめのうずめのみこと」は、お構いなしに話し続ける。
「クリームあんみつもあるよ。でも、クリームあんみつは、やっぱりソフトクリームじゃなくてアイスクリームが良いよね」
「こんなときに、ばかなことをおっしゃらないでください!」
しかし、拒絶するナウシカの口からは、すでに一筋のよだれが流れ落ちていたのである。
「みんなもおいでよ。さあ、行くよ、ナウシカ」
「あめのうずめのみこと」はさっさと歩きだし、イルマ、黒猫はもちろん、苦沙奈とナウシカもそれに従ったのである。湯葉さまは、れいによってパーティーの最後尾をしっかり守って歩いていたのだが、その心を捉えていたのは「豆カンはあるだろうか」という疑問であった
オクスリアンの群れを「ちょっと道空けてね」と易々と通り抜け、「あめのうずめのみこと」お気に入りの店に入ると、みんな仲良くクリームあんみつ(湯葉さまは豆カン)を食べ始めた。ナウシカは、最初はクリームあんみつに夢中だったのだが、テーブルに置かれたサングラスが目に留まりふと眼をあげると、そこには、あんとクリームをバランスよく混ぜて口に運ぶ「あめのうずめのみこと」の姿があった。そして、あんみつがそこに消えて行くフルーツのような唇に見とれているうちに、ナウシカは、「オクスリアンとは適当につきあっていけばいいや」という心境、今まで何をそんな深刻に考えていたのかなあ、という心境になっていたのである。
こうして人類は、「ひとつ間違える」こと無しに、絶滅を免れたのである。
さて、もうひとつ幸いなことに、大統領執務室での現実味のない会話から始まったリアリティーを欠くこの物語は、最後に「あめのうずめのみこと」まで登場したことにより、「こうなったら、もう、リアリティーなんかどうでも良いですよね」という暖かい承認を頂いて、めでたく完結することとなったのである。
めでたし。めだたし。