パクスオクスリーナ: それは美しく小さな世界

それは美しく小さな世界

今日は、クララ・ホイットニーが両親と別れる日である。

この世界では、五歳の誕生日に子供達は両親と別れ、子供の園に入るのだ。それは大変に悲しいことである。

だが、それは悲惨ではない。親にとっても、また子供にとっても、別れの日が近づくにしたがって毎日の生活はますます貴重なものとなり、日常のひとつひとつの行為が宝石のような輝きを発するものになっていく。両親と別れた後の日々で、子供たちはこの宝物をとても大切に守り身につけて暮らすのであり、その点においては、私たちの世界で、他の誰も持っていないような貴重な宝石をもらった子供が、それをとても大切にして喜ぶのと、同じことなのであろう。

子供たちは、両親と別れてからは子供の園でいっしょに助け合いながら、もちろん、子供たちもオクスリアンなので自分よりもみんなを大切に思いながら、育っていく。争いはない。悩みはない。葛藤はない。努力は、葛藤のかけらも伴わない努力である。「好き」はあるけれども「きらい」はない。「好きときらいの間」もない。 「なんかつまらない」はなく、「たいくつだなあ」もなく、将来への恐れはないのだが、やはり病気をすることもあるし、事故もある。しかし、なんということなのだろうか! (子供なのに!)たとえ人のいないところで事故にあってひどい痛みを「特別なお薬」で取り除いてもらえない場合であっても、その痛みに淡々と耐えながら、「他の人がこんな痛みに会うのでなくてよかった」と喜ぶのだ。もしも、「苦しみとしての痛み」を測定することができたなら、この子の「苦しみとしての痛み」は「よかった」でだいぶ軽減されているのであろうが、なんとも、退屈な人々である。

さて、それでも育っていくのだから、クララにも選択をしなければならない時期が訪れる。「職業」と「ペアリング」の選択である。残念ながら、これも何のおもしろみもなく進む。自分の能力を最も活かせる職業を選び、他の人のために身を引くことをとても喜びながら、譲り合いの内にいつの間にかペアリングが達成されるのである。

「成就した恋愛は語るに値しない」などというレベルのものではない。徹頭徹尾常と変わらぬ日々の生活の間に、いつのまにか恋愛は成就しているのだ。ただし、 成就した恋愛ほど語るに値しないものはない と言えるかどうかは疑問である。この世界では、他の出来事があまりにも「語るに値しない」からである。

もちろん、他の人のために身を引いた「成就しなかった恋愛」についても、「語るに値する」なにかを期待するのは、無理。こちらに比べると成就した恋愛の方が、他の人が身を引いたことを知った上で成就しているのだから、まだ「語るに値する」なにかを期待できそうなのだ。まことに,訳のわからない世界である。

「結婚」という制度は旧世界からのものではあるが,しかし、オクスリーナたちも結婚して子供を育てる。五歳の誕生日を迎えるまで。

さて、経済学の共通常識(そのようなものが存在するかは疑問であり、共通でも常識でもないのであろうが)から観ると、心配な点がある。これ程までに葛藤なく学び軋轢なく働く世界では、生産力過剰になってしまうのではないのか?ある程度は、弱者の幸せを守ることに費やすことで生産力を吸収できるにしても、やはり需要不足で「不況」につながるのだろうか。

もちろん、そんなことはありそうもない。どうせ、このような社会は「競争的な自由主義経済」ではないのだから、労働時間を減らせば良いだけである。そう、その通りなのだが、残念ながらオクスリアン社会では余暇を増やすという手は通用しない。皆のために働くことが一番の喜びだからである。余暇に好きなことをやって良いのならば、その「好きなこと」は「皆のために働くこと」なのだ。ならば、どうするのかと言うと・・・・・・

オクスリアン社会は労働時間の軽減を、オクスリアンならではのやり方で実現しているのである。即ち、人生において「成長と学習に費やす期間」と「学習の成果を活かす期間」との比率を調整することにより実現しているのである。もう少し、直裁に言うならば、成人するまでの期間に対して、成人してから現役の労働者として死ぬまでの期間を減らしている、つまり、若くて身体も美しく世界もキラキラしている間に死ぬことにより、このなんとも広がりのない退屈で美しい小さな世界を実現してしまったのである。

今日は、クララが死を迎える日。クララが一生のうちで最も待ち望んだ、己を本当の意味で犠牲にして「みんな」のために旅立つ日である。

クララはペアリングの相手と一緒に手をつないで、二度と戻らぬ家のドアを閉めてゆっくりと歩いていく。

見慣れた歩道の木々も、道の両脇に広がる家々の前庭も、歩道のレンガの間から生えている雑草も、空の雲も、雲と雲の間の宇宙まで突き抜けて行く青空も、今までもあんなに美しいと思ったはずなのに、それでも今まではその美しさに気が付かなかったかと思えるほどに、美しい。クララは早く「みんなのための本当の園」に行きたいのだが、あせることはなく、「いつもの風景」を確かめながら、ゆっくりと歩いてゆく。必ずたどり着くのだから、あせることはないのだ。

「みんなのための本当の園」には、今日旅立つ人たちが集まっている。彼らは、遊園地の乗り物のような小さな屋根のない、一つの車両に二人がけの椅子が八つの乗り物に乗り込む(もちろんペアリングに従って一緒に座ることになる)。みんな、遊園地にいるように気楽そうで楽しそうである。音楽が流れ(どんな音楽かは容易に想像できると思う。まあ、あんな曲であろう)、車両は線路の両側に人形が、具体的にいうならば乳幼児の頃、幼児の頃、くまさん、リスさん、うさぎさん、モモンガーさん、お別れのとき、子供の園と(なんだか某なんとかランドのアトラクションのような、これでもかと言うほどにほのぼのした、まあ、あんな雰囲気の)人形たちが並ぶ中を進んでゆく。

最初のうちは、ペアは時たま見つめ合い一緒に手をつないでいるのだが、そして、みんなのためにこの美しい世界を去ってゆくことを喜んでいるのだが、そのうちに、もはや行為も概念もすべて吹き飛んでしまう激烈な波が押し寄せてくる。オクスリアンを守ってきたリミッタが外されたのだ。それは「これを味わってしまったら二度と戻れない歓喜」であって、したがって、数十秒のうちに、このオクスリアンたちの心臓は停止するのであって、座席に並んでいるこの激烈な歓喜を浴びた結果のご遺体たちは、普段の殴りたくなるような善良極まりないお顔からようやくのことで離れてくださった、ちょっとすごい表情に固まっていたのである

・・・・・・と、せめて最後くらいは「麻薬及び向精神薬」らしく決めてほしいものなのだが、ここでもパクスオクスリーナはパクスオクスリーナなのである。それでは、お人形の列の間を進むところまで戻ろう。

車両は線路の両側に人形たちが並ぶ中を進んでゆく。[葛藤は伴わない]努力と[迷いのない]自己犠牲の連続であった長い旅路の果てに、今、すべてを覆い尽くす穏やかな、静かな疲労が訪れてくる。「四つの最後の歌」の「夕映えのなかで」のような、すべてを受け入れた安らぎの疲労。ペアは静かに見つめ合い、手と手を柔らかくつないで、ゆっくりと目を閉じる。

二人は最後の夢の中で、夕暮れの山の中にいる。疲れた身体でけもの道を辿っているのだが、木々の間からのぞく西の空は夕焼けに染まり、すでに、あたりには夜の冷たい空気が忍び寄っている。藪のけもの道を抜けると突然視界が開け、そこは高い崖の上の草むら。崖の下には大きな沢が広がり、沢の向こうを見下ろすとそこは人里のようで、日が落ちて暗くなってゆくにつれ、小さな暖かな明かりが少しずつ増えてゆく。

二人は手を取り合って、並んで草むらに座る。家々の灯りは、そこには二度と戻ることのない二人の生きてきた世界であり、あれほど他者のことを考え他者を大事に思い、そして助け合って生きてきたのに、今、ここに居るのは二人だけである。あたりはどんどん暗くなって行く。この寂しさに包まれて、このまま、ここで目を閉じて眠ればよいのだが、山の中で夜が迫って来ると、かすかな不安が心の隅にあることに気づく。

生き物の気配を感じて振り向くと、そこには大きな二足歩行の熊さんが立っている。熊さんは近くまで歩いてきて、二人の側にどっしりと立ち、二人に話しかける。

「安心しなさい。ここに居てあげるから。小さな虫がうるさく近づいたり、気の早い生き物が食べに来たりしないように守ってあげよう」

「ありがとう、くまさん。でも、世界はどんどん暗くなっていきます」

「そう、眠くなって目を閉じるように、世界は今、その大きな目を閉じようとしている。世界と一緒に目を閉じて眠りなさい」

「ありがとう。お休みなさい、動物守り熊さん」

二人はその守り熊の足下で、控えめに薫る獣のにおいと、熊なのに猫のごろごろのような音をたてる息づかいにつつまれて、静かに目を瞑りました。

・・・・・・というわけだが、正直なところ、いいとこ取りをされたようで釈然としない思いが残る。しかし、これがこの世界なのだから、あきらめることにしよう。

まあ、なんというのか、よくもここまで小さくまとまった世界を造ってしまったものだと感心するのだが、 しかし ・・・・・・、いったい誰が、この世界を支配して維持しているのだろうか?

謎である。だが、ここまで小さくまとまった世界なのである。「誰が」という「誰」は人である必要もなく、ペンギンあたりに任せておけば良いのかも知れない。

何はともあれ、この世界は退屈である。なるほど世界は、そして私たちの一生は、観客を喜ばせるために存在しているわけではない。それはそうなのだが、やはり退屈である。

それでは、この小さな世界はこの辺にして、時代を遡り、苦悩者さま絶滅前のテロリストの物語を。