5.西の国
「もう,箱根辺りにベルリンの壁でも作ってしまおうかと」
これは駒込の宴会で酔いから少し醒めた「あめのうずめのみこと」 が言った,得体の知れぬ一言です。
「あめのうずめのみこと」 にとっての西の国のわずらわしさは,お上と近江守の本拠地ということでしょう。東の国は,お上との関係で言うならば,椎名氏の勢力圏でした。椎名氏の立場は,おそらく,帆船時代の遠国派遣艦隊提督のようなものだったのでしょう。いずれは最終的な承認を西の国から受けなければならないとはいえ,配下の騎士達に安房守とか肥後守とか好きなように位階を与えることが出来たのです。その他,もろもろのことも自由に手配できたので,椎名氏としては,いまさら西の国との間に障壁を築く必要もなかったのでしょう。十分に居心地が良かったのです。
一方,神々にとっては,距離的隔たりは人間にとってほどの心強いものではなく,「あめのうずめのみこと」 が完全独立を夢見たとしても,それは無理もないことなのです。
さて,問題は「あめのうずめのみこと」 と近江守との関係です。これはいったい,どうなっているのでしょうか。カトリーナが「あめのうずめのお姉様がお仕えしている近江守さま」と言っているのだから,「あめのうずめのみこと」 はそのように説明しているのでしょう。言葉の上では。しかし,酔っぱらったときの発言を聞いていると,単純に「お仕えしている」と考えて良いのか,これは甚だ疑問なのです。
では,いわゆる「天の岩屋戸」事件ですが,本当の所なにがあったのでしょうか。
5.1 天の岩屋戸のマリンカ
古江戸の時代より,ずっと昔のことです。インドの方からみえた徳の高い僧侶がおりました。ある夜,この方はただひとり,居室で考え事をしていらしたのです。その姿は端から見ると退屈しているように見えました。これが,おもてなしの心あふれる「あめのうずめのみこと」 を呼び寄せたのです。
当時の神々は服など着ていません。神々の視線に対しては,皮膚は体の内部を隠す働きはなく,また,仮に服を着てみたところで,服は皮膚を隠す働きはないのです。 「あめのうずめのみこと」 は,ヌードのままで部屋に入ってくると,この僧侶の前にすっと立って言いました。
「すごくきれいでしょ?」
僧は感心して,でもニコニコしながら「あめのうずめのみこと」 の姿を見てお喜びになり,それからおっしゃったのです。
「はい。とても美しい姿です。これ程の美しい方が衣類をまとい飾りをつけると,その服と飾りは,この美しさを損なうのでしょうか」
なんだか挑戦を受けたような気がして,「あめのうずめのみこと」 は言いました。
「私,着てもすごいんです!」
「あめのうずめのみこと」 は神々の国に帰ると,彼女の友達に頼んで,人間どもが着ている服に似せて[人間の目から見ればすごく綺麗な]服を作ってもらいました。その他にも[宝石箱をひっくり返したような]八つの飾り,即ち,ティアラ,耳飾り,[チョーカーみたいな]首飾り,[普通の長さの]首飾り,[胸まで届く]首飾り,ウエスト飾り,ミサンガー,アンクレットなどの八つの装飾品も作ってもらいました。そして,夜になるのを待って,服と装飾品を小脇に抱えて------着て行けばよさそうなものですが「他の神に見られたら」と思うと恥ずかしくてできなかったのです------僧院に走って行きました。部屋の外の庭で,誰にも見られていないか何遍も何遍も確かめてから,服を着て飾りを身につけました。「あめのうずめのみこと」 は,ふすまを開けて部屋に入るとき,恥ずかしくてドキドキしていたのですが,そんな気配は表に出しません。無造作にふすまを開けて部屋に入ると,僧の前にすっと立って
「ほら,きれいでしょ」
と言いました。
「はい。とても綺麗です。服と飾りは,あなたの美しさを損ないません」
僧は立ち上がると,手元にあったペーパーナイフをご褒美として下さり,それから「あめのうずめのみこと」 の頭を撫でて「よしよし」をしてくれたのです。
「あめのうずめのみこと」 は嬉しくなって,なんと言うことでしょう,服を着たままで神々の国に走って帰ったのです。
「あめのうずめのみこと」 の姿を見て,男の神々は「おーっ!」とどよめきの声を挙げ,女神達は真っ赤になり「見ちゃだめ」と子供達の目を覆います。
神々(主に男の神々)が集まってきて酒盛りが始まります。ただひとり衣服(どちらかというとロシア風です)をまとった「あめのうずめのみこと」 を囲んで,昼の日中からのどんちゃん騒ぎです。宴会には背徳の香りが良いお肴になります。神々にとって,絶世の美女「あめのうずめのみこと」 が人間どもの着る「服」などというものをまとっている姿は,かつて経験したことがないほど「おみだら」で刺激的な光景だったのです。 「あめのうずめのみこと」 は内心とても恥ずかしがっていて,同時に,彼女独特の気っぷの良さとおもてなしの心で,また,みんなが自分を見て興奮しているというエンタテイナーの本能的喜びで,ズヴロッカの瓶を片手に挑発するように中央に立っています。「あめのうずめのみこと」 は背中をぐっと反らして,みんなの歓声の中,ズヴロッカを一気飲みすると,「ニャーン!」と叫んで空になった瓶を空高く投げ捨てました。ズヴロッカの瓶はクルクル周りながら,空に吸い込まれて行きます。
さて,この宴会の背徳性は,衣服により視線が遮られる私たちには,どうしても正しく想像しづらいのです。私たちは,着衣・非着衣を逆転させて,「あめのうずめのみこと」 だけがヌードだと想像しないと,この情景の嬉しい味わいを把握できないのかも知れません。
さて,この昼日中からのどんちゃん騒ぎは,かって無いほどの盛り上がりを見せていたのですが,そこに突然,近江守が戻ってきたのです。
急に静かになります。近江守は神にあるまじき格好の「あめのうずめのみこと」 を厳しい顔で,また,見ようによっては複雑な表情でにらみつけ,自室に入って扉をピシャッと閉めてしまいました。天の岩戸です。
何ということなのでしょうか。世界は絶望そのもののような暗闇に覆われてしまったのです。
光を失った常闇の世界に「ウォー」というどよめきが広がりました。そして,「ファイヤー!ファイヤー!キャンプファイヤー!」というかけ声が繰り返されます。薪を持ってきて火をつけ,キャンプファイヤーの火柱を囲んで本格的な酒盛りが始まりました。キャンプファイヤーの灯りで照らされる「あめのうずめのみこと」 の姿は,一段と背徳的です。
「あめのうずめのみこと」 は「カチューシャ」を歌い始めました。生粋のロシア育ちのみが歌えるオリジナルバージョンの「カチューシャ」です。普段,日の本の神々の里にロシア趣味を持ち込んだりすると,近江守に叱られてしまいます。天の岩戸に隠れてしまったを占め子の兎と,羽目を外しているのです。
悪乗りコンパの如く乱れきった男神たちは,「あめのうずめのみこと」の更なるおみだらを求めて,はやし立てています。いや,悪乗りコンパと言っても,そこは "天の" であり,"高天原" ですから,高田馬場辺りの悪乗りコンパとはひと味違って,もう少し格調高いものだったはずです(たぶん)。しかし,イライラしている人,この場合は近江守にとって,酒盛りの騒ぎがイライラを助長させる的確な作用をもっているということには,疑いの余地はないのです。
近江守のイライラはすでに限界を超えています。でも,閉じこもって見せたのに簡単に出てしまったのでは,威光に関わるのです。近江守は,怒りのあまり額を岩屋戸の壁に打ち付けています。厚い岩戸を貫いて,男神共の騒ぐ声が聞こえてきます。
ウッサさん!ウッサさん!ウッサウッサウッサウッサ ウッサウッサウッサウッサ ・・・・・・
この無意味に果てしなく繰り返される,世界を吸い込む渦のようなリフレインは近江守を,頭の血管が破裂してしまいそうな怒りと苛々へと追い立てるのですが,それでも近江守は耐えています。岩屋戸からは出てきません。皆は,近江守のこの性格を知っているから,安心して騒いでいるのです。
酒盛りは延々と続きます。神々の時間で「延々と」なので,夜ばっかりの世界が「延々と」続く状況は人間達にとって,とてつもなく迷惑なのです。神々の中で,近江守の参謀「オモイカネ」だけがこの状況を心配しています。このコンシリエーレは一計を案じ,「あめのうずめのみこと」 に言いました。
「盛り上がってるし,あれを踊っちゃいましょう!」
「良いのですか! まずくないですか?」
「こうなったら勢いです」
「しかし,あれは・・・」
さすがにためらいはあったのです。ためらって見せたのではなく,一応は本当にためらったのです。けれども,結局は,決断を決めて叫ぶことになります。
「カリンカー!」
それを受けて,男神の集団から
「ウォーー!!」
と三度目の大歓声です。
大きな桶を三つ持ってきて,それを伏せて重ねてタワーを作ります(上手くずらして重ねると,不安定ながら桶三つ分の高さのタワーが出来上がります)。微妙なバランスを崩さないように「あめのうずめのみこと」 はその上に登って行きました。その上で,「カリンカ」に合わせてコサックダンスを踊ろうというのです。
しかし,「あめのうずめのみこと」 は,てっぺんまで登って困った風です。実は,この背徳の「衣服」を着たままコサックダンスを踊るのは,裾の長い作りからして無理だったのです。さて,どうしましょう。男どもの熱狂を誘ったとは言え,「衣服」などというものは所詮は一発芸です。こんなものに頼っていたのでは,エンタテイナーの沽券に関わります。「あめのうずめのみこと」 は服を脱ぎ捨てました。
「うーー!」
がっかりした男達から不平の声があがります。しかし,がっかりしたからといって,場をしらけさせる連中ではありません。すぐに気を取り直し,「カッリンカー!!」とシャウトして,一斉に歌い始めました。
女神達も安心して子供達を連れて戻って来ます。今では近江守ただひとりを除いて,すべての神々が観客です。フルーツのようなその唇にマリンカの実のついた枝をくわえた「あめのうずめのみこと」 の,優美にしてワイルドな,そして私たちの感覚からすると驚くべき事にペーパーナイフの鈿の他は完全ヌードでの,コサックダンスが始まりました。
近江守は天の岩屋戸の中で,ずーと苛々して,苛々して,苛々し続けていましたが,それでもけなげにも何とか耐えてきたのです。それなのにそこに,地面を踏みならす響きと共にカリンカのどよめきが聞こえてきたのです。耐えに耐えてきた忍耐も,とうとう限界を越えてしまいました。怒りに燃えて,近江守は外に飛び出そうと岩戸に手をかけました。その気配を察して,力持ちの男神達が,岩戸を開けさせまいと押さえつけます。しかし,「あめのうずめのみこと」 から目を離すことができず体をひねった姿勢で腕だけの力で押さえても,碌な力にはなりません。近江守の怒りのパワーの前には彼らの半端な力は虚しく,岩戸は,あっさりはね飛ばされてしまいました。
背中に日の光を従えた近江守は凄まじい勢いで突進してきます。飲んだくれてふらふらの神々や子連れの女神さまたちは,そこは神だけのことはあって,モーセを前にした紅海のように要領よく人混み(神混み?)に裂け目を作り,近江守の突進を躱して行きます。加速しながら一気に突進してきた近江守は,その勢いのまま桶のタワーを思いっきり蹴倒しました。「あめのうずめのみこと」 は猫のようにうまく姿勢を制御しながら落ちてくると,「オモイカネ」の背中をクッションにしてふわっと着地します。 突然の昼間の光の中で決まり悪そうに立ちすくむ神々を,その背中に隠すような立場になってしまったのですが,さすがは物怖じしない「あめのうずめのみこと」。 「これから叱られるのですね」と恐縮しているようでいて耳はピンと立てている猫のように,まっすぐに近江守に向かい合っています。
「日の登る国,日の本にロシアを持ち込むでない!!」
なにやら迫力を欠く尻すぼみなお叱りと共に,酒盛りは解散になりました。
さて,岩屋戸に籠もる前に,近江守はなぜ「複雑な表情」でにらみつけたのでしょうか。実は,近江守はその頃
人間どもと折り合いをつけていくためには,いずれ神々も服というものを着るようにしなければ
と考えていたのです。「あめのうずめのみこと」 の起こした事件を契機として,近江守は「着衣令」のお達しを出すのです。
これは,「神たるものが,なぜ人間どもに媚びなければならないのだ!」という強硬な反発を引き起こし,反対派の神々は,近江守が設立した衣類製作所に「己の皮膚で不足なら,これでも被せとけ!」と馬の生皮を放り込んだり,あれやこれやと兎に角大暴れをしたのでした。
近江守の手腕により,結局は反乱は鎮圧されます。そして,その後のことですが,人間にわかる神形が出来上がってくると,着衣・非着衣の関係も時間の前後も逆転し,今伝えられているような「天の岩戸のお話」が出来上がったのです。なるほど,「あめのうずめのみこと」 は神モードで踊ったわけですが,その意味合いは全く違っているのです。
「あめのうずめのみこと」 からみれば「あんまりだ」と言いたくなる扱いですが,その点に関しては文句を言わず済ましているわけですから,彼女も大物なのです。
5.2 西のヘブライスト
さて,英語趣味,インド趣味,ロシアの影と賑やかだが,もうひとつ,ユダヤが絡まないと寂しい。ユダヤの影響は確かに存在する。「男子三日会わざれば割礼して待て」という言を例示すれば,十分であろう。しかし,日本では,ユダヤの影響は一部の地方に限られる。また,ユダヤという言葉は,何かと紛らわしい。ユダヤと一括りにせずに,ヘレニストとヘブライストを区別して考えるべきである。
ユダヤ内部でのヘレニストとヘブライストの対立は,紀元前2世紀まで遡ることができるが,本当のところいつ分離したかはわからない。ヘレニストは,今で言う国際派であり,ヘブライストは民族派ということになるが,それは表の対立であり,根はもっと深い。問題は,「箱」である。ヘレニストは,契約と戒律を中心とする宗教としての「ユダヤ教」よりも,「箱」の秘儀を追い求めた。結果として,戒律と戒律を守るための宗教的純潔は軽視されることになる。割礼にもこだわらないし,豚も食う。一方,ヘブライストは正統派である。当然,ヘブライストはヘレニストを嫌悪することになる。アスカロンで発掘された公衆便所の壁の落書きは,この典型であろう。
「ヘレ ヘレ ヘレ ヘレ ヘレニスト かわいい顔して豚食った」
ヘレニストに同調した王がヘブライストを惨殺したこともあったが,多くの場合,ヘブライストがヘレニストを殺すことになる。しかも,生きたまま油で揚げる等の残酷なやり方で。ヘブライストは「豚を食う」ヘレニストを「豚」と蔑視し,ヘレニストはヘブライストを残酷な「狼」に譬えた。
長い闘争の果てにヘブライストは優勢を確立する。しかし,ヘレニストという国際派の弱体化はローマへの無謀な武力反乱につながり,ローマ軍に包囲された城壁の内側で陰惨な内部抗争を繰り返したあげく,エルサレムは陥落する。ローマ軍の主力が引き上げた後,ローマへの反感を原動力として,ヘブライストは再び,そして完全に力を握る。ヘレニストは地中海沿岸各地に逃亡し,秘教組織として姿を隠すことになる。権力を握ったヘブライストは二度目の反乱を起こし,結果としてヘブライストも,いわゆるユダヤ人として各国に散らばることになった。
ヨーロッパでは,表面的に目につく多数のヘブライスト達と,もはや人種的特徴も宗教的戒律も完全に捨て去ったヘレニスト秘教結社と,この両者の争いは継続し,これが反ユダヤ感情と陰謀論の温床となり続けた。
一方,日本にはヘブライストしか渡って来ていないようだ。 日本に渡来したヘブライスト達は,もはやヘレニストと争う必要もなかったのだが,それでも,ヘレニストに対する嫌悪と軽蔑の感情は持ち続けた。しかし,ヘレニストの不在は,「ヘレニストのような隠れた存在となってはならぬ」という反感も薄弱にし,日本ではヘブライスト達も,戒律や服装等で目立った特徴を見せることを避けるようになる。そのためには,自分たちがもっとも嫌う豚の料理を日本に持ち込み流行させるなど(自分では決して口にしなかったが),精一杯の努力をし,その結果,いつのまにか,本当に日本人化してしまうことになる。ヘブライスト達にとって,日本は真にもって住み易すかったのであろう。神道の祝詞の「狼谷の・・・」というフレーズも,彼らには心地よかったのである。
ヘブライストが住み着いた地域は,日本全国に広がっていたわけではない。 ヘブライストは豚肉を油で揚げるとき(今で言う「とんかつ」である),豚肉に対する嫌悪の感情を抑え込むため,ヘレニストに対して行った過去の残虐極まりない「歴史的偉業」を思い出すようにしたのであろう。彼らは,この料理をヘレニスト揚げとよんだ。
彼らが住み着いた地域は,現在,「フィレかつ(ひれかつ)」を「ヘレかつ」という奇妙な呼び名で言う地域と,だいたい一致する。
5.3 こじつけ
ヘレカツ地域とヘブライスト地域の相関は,ヘレカツ地域とノーベル賞受賞者生誕地域の相関を分析すれば,統計的に検証することも出来る。 箱根より東では「ヘレカツ」と言わないのであり,ヘブライストの影響は存在しない。
しかし,明治の御代になり,西洋的な「ユダヤ」に対する見方が輸入されてくると,そのひとつとして,「なんでもユダヤ」論者が登場する。彼らは,ヘブライストの影響が存在しなかった東の国にまで,「ユダヤ」の痕跡をこじつけ始める。ヘブライストがイスラエルから追い払われる原因となった第2反乱「バル・コクバの乱」の宗教的指導者は「ラビ・アキバ」である。「なんでもユダヤ」論者は,Arch-Vajra,すなわち「秋葉原」に,この「ラビ・アキバ」をこじつけようとするのである。それどころか,高円寺を「コーエン寺」と読んで,シナゴーグが在ったはずだと主張する。また,「東の国にもバル・コクバ」と望むからなのか,「東コク・バル」を担ぎ出そうと企む。困ったことである。こじつけはいけない。
「あめのうずめのみこと」 は,彼女の署名「Princess 'Uzza Mae of America」(プリンセスウッザーメイオブアメリカ)の意味を
'Uzza はビーナスであり,美しさの象徴。"of America" は「アメの」と読んで,餓え野の彼方にみえるアメ横の「アメ」が遠さを表すのと同じこと。つまり,遠く手の届かぬ程の美貌。
一方で,Mae は,アメリカ娘メイちゃんのポニャらかな親しみやすさを表現しているのです。美により遠くポニャらかにより近く! この遠近の対比が工夫。もちろん,Princess だから姫です!
それからね,'Uzza は Orient の響きがあるので,それに対比して,Mae には西の響きが聞こえてくるでしょ。だから,Mae は Mae West 。空からパラシュートで降りてくる感じです。
と説明している。これなども,こじつけなのだが,まあ,越智東風と書いて「おちこち」と読ませるようなもので,かわいいものである。 Al-'Uzza Mae とすれば,AmenoUzmenoMikoto と同じ A.U.M. に揃えられるし,Mae はMary の愛称だと主張すれば Liebfrauenmilch の二重性 も捉えられるのに,Mae West などと見当違いのことを言っているところが,いかにも 「あめのうずめのみこと」 らしいのだ。こじつけと言っても,かわいいものである(⇐)。 事実をねじ曲げようとする悪質なものではない。
アキバとかコクバルとかいうこじつけは,
「アメ横」の「アメ」は「天の」に由来するのであり,それが「遠くの」という意味で用いられるようになった。これが西洋に伝えられ,「遠くへ」という冒険家っぽい印象の人名「アメリカ」が生まれ,冒険家アメリカが発見した大陸なので「アメリカ」と呼ばれるようになった。つまり,「アメリカ」という名前は,「天の」から来ているのであり,日本神話の影響下にある。
と主張するようなものである。このようなこじつけは恥ずかしい。こんな主張が通るなら,逆に,「天の」は「アメリカの」という意味だから,高天原はアメリカ,と主張することも可能であろうし,宇佐神宮に至っては USA 神宮であり,これは,もうそのままである。
さて,東と西の違いという点に戻ると,これにはお上と近江守の存在だけでなく,東に英語趣味,西にヘブライストという相違もある。明治の御代の文明開化となると,とりあえずは英語趣味の東を首都にしておくのが落ち着きが良く,江戸が東京となるのも当然の結果だったのであろう。こうして江戸は無機質な東京という名に変えられ,「穢土」の響は完全に除去されたのである。