古江戸物語: 3.戦争

3.戦争

3.1 戦争の始まり

この戦争の始まりは、怒りでした。それは確かなのですが、その怒りの始まりはと言うと、分からないのでございます。わかっていることは、怒りが生まれたのは、椎名氏と King Arthur が互いにわずかの手勢をつれて会合を、有り体に言えば恒例の親睦会のようなものを開いていた、その和やかな場であったこと、そして、そのほんわかとした会合で突然、爆竹に火がついたような怒りが生まれた、ということだけなのです。

会合の場所は、現在の品川、これから始まる戦争で椎名氏側の軍勢が陣を築くことになる「椎名側」、会合で使われた言葉はと言うと、椎名氏は英語趣味で達者になった英語、と言ってもやはり間違いも多かったのですが、英語を操り、King Arthur は逆に日本の言葉を使いたがるという、真にくつろいだ雰囲気でありました。その会合もそろそろお開きの時刻かというその時、ひとりの漁師が通りかかったのです。この漁師がたまたまそこを通らなかったら、この戦争は起こらなかったのかも知れません。また、それは人が知る原因であって、いずれ戦争は起こるように決まっていたのかも知れません。兎に角、漁師が通りかかりました。

この男は近くの海辺の村に住む有名な漁師で、その筋骨逞しき姿は知らぬ者無し、もちろん椎名氏も King Arthur もご存じでした。あだ名は「浜の筋肉・浜マッチョ」、英語趣味もたいがいにしろと言いたくなりますが、この者の暮らす村までも「はままっちょ」、浜松町という名で呼ばれるように成っていたのです。

浜マッチョは、その背に背負ったかごに、取り立てのイカを入れておりました。King Arthur は親しげに彼に近寄り、イカを買い求めました。そして、所用で席を外した小者が椅子代わりに腰掛けていた踏み台を手に取ると、その上に、取り立てのぬらぬらしたイカを載せ、ニコニコしながら椎名氏に歩み寄り、神主のような仕草でそれを椎名氏に捧げるまねをしたのです。

椎名氏は激怒しました。

それまで、椎名氏ほどの英語趣味には達していなかった家臣達は、ほほえみを浮かべて分かっている振りをしながら、もっぱら酒食を楽しんでいたのですが、爆竹の如き突然の激怒にとまどいました。なにを怒っているか分からなかったのです。神道は、異教の者が、異国の者が、また、神主でもない者が神道の儀式のまねをしたからといって、それに腹を立てるほど了見の狭いものではないはずです。

椎名氏は、その後も、なにが無礼であったか話すことはありませんでした。ただ、戦うことを告げたのです。家臣は、問うこともなく従いました。なるほど忠義ではありますが、戦う理由を知るものが椎名氏だけという、このことが戦争を終わらすことを難しくしてしまったひとつの要因なのです、

それでは、全体、King Arthur はなにをしたかったのでしょうか。おそらく、神主が神道の儀式において、台座にするめ等の乾物を載せ神道の神に捧げる様子を知っていたのでしょう。そして、英語趣味がやたらに英語を使って親しみを表現したがるのと同じく、儀式をまねることによって、神道への親近感を表現したかっただけなのでしょう。

しかし、椎名氏は激怒し、憤然と席を立ちました。

取り残された King Arthur は、なにか失敗をしたなとは感じましたが、椎名氏のあまりの豹変になすすべもなく、呆然としておりました。後に、King Arthur や彼の騎士達は、椎名氏を怒らせた「何か」に気付いたかも知れません。しかし、仮に気付いたとしても、それを今更、椎名氏に言うのは言い訳であると断じ、淡々と戦いに応じたのでありましょう。まことに騎士らしい覚悟ではありますが、お互い、このような様式の美に囚われていたのでは、戦いを避ける術はありません。原因と言うならば、これこそが戦争の原因であると言うことが出来るのかも知れません。

3.2 戦争の前半

このように、この戦争は理由の分からない怒りから始まりました。両者の間には、戦わなければならない争点はなかったのです。そして、両者が大崎と品川に陣を敷いて戦いを始める頃には、二人とも、両者の不和の原因は悪意によるものではなく、偶然のもたらす不運な誤解に過ぎないことを知っていたのでしょう。それにも関わらず、両者ともに、戦いを避けるための言い訳じみた話し合いよりも、清く戦うことを選んだのです。そのため、侮辱と怒りが戦いの原因であったとはいえ、両者は尊敬と礼節をもって戦うことになります。もしも、世の中に美しい戦争というものがあり得るとしたら、この戦いの前半こそが、そのように言われるべきものでありましょう。

しかし、騎乗のものたちが美しく戦ったとしても、歩兵、足軽、馬廻りの小者となると戦いの場では何が起こらぬとも限りません。御婦人方や御幼少の皆様は、念のため避難することになりました。面白いことに、男達は互いに戦っているというのに、両陣営とも一緒に疎開したのです、

椎名氏には、二人の娘、「しずか」と「なおみ」がおりました。「なおみ」は西洋の名であり、もともとは旧約聖書に登場するイスラエルの方の娘さんであります。西洋の名前を娘につける辺りにも、椎名氏の英語趣味が窺えます。King Arthur の妻の名は伝わっていませんがホイットニー家の出身で、娘は カトリーナ の他にも Katz伯のお嫁さんになった姉のクララがいて、おクララの甥っ子が玄亀くん。その他、お付きの女官達、重臣の奥方様姫様揃って仲良く避難したのでした。向かった先は Tabatha さんのお屋敷の、愛染川を渡った離れ。ずいぶん広いお屋敷でございます。そのあたりは後に、子・孫・女たちが仲良く暮らした土地ということで「まご」と呼ばれるようになります。

まことに、ほのぼのと和やかにお暮らしであったようです。なんといっても、天下無双の剣客カトリーナ姫がいらっしゃるので安心です。そもそも、カトリーナ姫などは、戦場にいないのが不思議なくらいです。

小さいお子達のお世話は「あめのうずめのみこと」 (いろいろなことを教えてくれそうですね)、お食事の受け持ちは「おほげつひめ」(食材はご自分ではお作りにならず、買っていらしたようですが)、みなさまの身の回りのお世話はメイドたちが、まあ至れり尽くせりで、遠足にでも出かけているかのような、のどかな光景だったようです。

なお、ここで「メイドたち」と言っているのは、いわゆるメイドさんのことであり、マリアさまとかジャンヌさまのことではありません。複数形ですし。ラピュセルやユングフラオ、リープフラオとかも、マリアさまのことだったりするので、気をつけないと危ないですね。それから、ジャンヌダルク(ラピュセル)というならば、カトリーナ姫がぴったりです。しかし、カトリーナ姫はジャンヌダルクとは対照的に、腕前は天下一品だけど集団での戦争などには興味なしという、ちょっと変わった方なのです。

3.3 お出かけ

そんなにしょっちゅうではないのですが、戦いに退屈した男達が遊びに来ることもありました。退屈した、というのは不謹慎ですし、命がけの戦争でどうすれば退屈できるか不思議でしょう。しかし、この戦いの前半は一騎打ちが多く、しかも、西洋の貴族階級の騎士様とか、安房守、伊勢守とか何々の守という称号で呼ばれる方々は、いずれも立派な甲冑をつけて戦っていらっしゃるので、手傷を負うことはあっても簡単に命を落とすことはなかったのです。そのため、本当に高い身分の方々の一騎打ちが延々と続き、騎乗身分であってもたいしたことのない位階の方々には本格的な戦いの機会はあまりなく、正直なところ、少々退屈していたのです。

そのため、西洋陣営と神道陣営の仲良しの騎士達は、相手の切り込む刀を盾で受けながら、ひそひそと「お出かけ」の打ち合わせをしたのでした。

「お出かけ」が駒込に押しかけてくると、たいていの場合、お相手をするのは「あめのうずめのみこと」 です。地下の酒蔵から取って置きのドイツワインを持って来させると、それを注いで廻りながら、「りーぷ ふらお みるひ」と言って、大笑いです。ドイツ語圏出身の騎士以外はなんのことか分からないのですが、「あめのうずめのみこと」 があんまり可笑しそうの笑っているので、それに引き込まれて笑い出してしまいます。鹿島や香取辺り出身の騎士(武士というべきでしょうか。つまり騎乗身分の武士)も、ドイツ騎士が「愛する・ご婦人の・乳」とワインの名前の意味を分解して説明してくれると、改めてうれしくなって笑い出します。このあたりは、「あめのうずめのみこと」 独特の魔力ですね。

でも、カトリーナ姫は、その有様を見て怒っています。

UzzaウサMae お姉様、マリア様を酒の席で笑いの種にするなんて、本当に失礼です!」
「あなただって、お仕えしている近江の守さまのことで笑われたら、そんな失礼なことされたら!」

「あめのうずめのみこと」 は、もう体が爆発してしまいそうなくらいの笑いの発作に襲われているのですが、そこは、流石に鍛え方が違います。必死に、その柔らかそうなおなかに隠された筋肉全部に力を入れてこらえながら、「えっ?」と聞き返します。カトリーナ姫は、もう本気で怒っています。

「だから、あ・ま・てらす・お・お・みの・かみ さま!」

「あめのうずめのみこと」 は、もうどうやってもこらえきれません。吹き出してしまい、涙を流しながら笑い転げています。

間違えたってしょうがないのです。カトリーナ姫が椎名氏の所に遊びに行くと、椎名氏の周りにいる騎士達は、みんな「肥後守」とか「伊豆守」とか名のっているのですから。

「どうして、UzzaMae さまのような大天使さまが(これがカトリーナの理解です)、椎名さまの騎士達と同じ程度の身分の方に仕えているのかしら」

とは思っていたのですが、日本人のすることは変だから、と無理矢理、納得していたのです。

「うさめ」さん は、まだ笑っています。「伊勢守じゃなくて、近江守なあ!琵琶湖!お嬢さまなのに言うことが」とか、「こんな笑わしてくれたのは、さるたくん以来だよ」とか、もう、涙をこぶしで拭いながら、訳の分からないことを言って笑い転げています。酔っぱらいです。

カトリーナ姫は、真っ赤になってうつむいて、げんこつを握りしめ、肩は怒りで震えています。騎士達は、特に日本の騎士達はもう、一人で笑い転げている「あめのうずめのみこと」 はほっといて、魂が抜けたようにカトリーナ姫を見つめています。いつもはみんな、女の魅力満点の絶世の美女「あめのうずめのみこと」 の話ばっかりしているのに、本当はカトリーナ姫のことが、特にカトリーナ姫のこんな姿が、もうどうしていいか分からないほど大好きなのです。日本人はやはり変です。

「あめのうずめのみこと」は、もう完全に酔っぱらいです。無茶苦茶です。そのとき、「おほげつひめ」 がチーズのお皿をもって入ってきました。アメノウズメノミコト は胸元の乱れを直してすっと姿勢を正すと、さっきの笑い上戸はどこへやら、かしこまった表情で「おほげつひめ」 に礼を致しました。「おほげつひめ」 は別格なのでしょうか。部屋の男達も、つられて一瞬静まりかえります。しかし、それも少しの間だけ。「あめのうずめのみこと」 は、すぐに酔っぱらいに戻ります。一瞬の静寂がうそのように、再びみんなも騒ぎ始めました。

美しき酔っぱらい女神は、こんどは「おほげつひめ」 について来た「このはなのさくやひめ」と「このはなのちるひめ」に絡んでいます。「だいたいねー! あなたたちは」。ここまで言って、また「近江守」を思い出して笑い始めます。しばらく笑っていると、いきなり、さっきの続き。

「だいたいあんたたち、なんで、二人とも姫とか言って」

「私だけ、どうして姫がつかないのよ! どうして!」
「さるたくんと一緒になる前だって姫ついてなかった」

とか(⇒ さるたくん )。

それでも、いくら酔っぱらって乱れていても、Lady UzzaMae はすごく格好いいのです。イングランドの騎士達は、ちゃんと作法どおり、UzzaMae さんのちょっとルーズな胸元を肴に杯を傾けています。おとなの事情を知らない若い騎士は遠慮もなく 'Uzza さんに天の岩戸で踊ったときの「衣裳」について尋ねています⇒ 裳の紐 )。プロイセン とイングランドの騎士ふたりは(この2人は有名な探検家で妙に気が合うのです)、「 Grand Canyon は砂漠のような丸見えの地形に在るのでは味気ない。ジャングルの奥に突然現れて欲しいものだ」などと、'Uzza さまとは関係ない議論で盛り上がっています。アルザスの騎士が「シュヴァルツヴァルトではだめですか?」と割り込んで来て、若い騎士も 'Uzza さんも、そしてクシャナさん(むさ苦しい男共だけでなく、女性騎士も居るのです)も大賛成のようです。ミュンヘン出身の騎士達はビールジョッキ片手に

Es war einmal ein truer 'Uzza!
Der lieb't sein Mädchen ein gantzes Jahr

などと歌い始め、ein gantzes Jahr, ein gantzes Jahr, と騒いでいます(彼女は女性なのに。それに sein Mädchen とは誰のこと?)。ロシア系の騎士達に至ってはウザーさんに負けない酔っ払いぶりで、酒樽を重ねてその上で踊ろうとしています。椎名側の騎士(武士)どもは、まだ、怒りのカトリーナに見入っています。日本人はやはり変です。

こんな UzzaMae さまとカトリーナ姫ですが、このふたりはすごく仲が良いのです。カトリーナが夜の稽古を済まして戻ってくると「よし、風呂入るぞー」と姫の汗くさい首に腕を回して、なかば無理やり風呂場につれていって、いい年をして一緒にお風呂に入るのは、もちろん、小竹ささ葉を束ねて手に持つ UzzaMae お姉さま(ここはフィンランドではなく日本であり、サウナではなくお風呂なのですが) 。そして、たいていの場合、なにをされたか分かりませんが、カトリーナ姫はぷんぷんしながら風呂場から出てくるのでした。日本人は本当に風呂が好きですね。

3.4 「別れ」の姿

戦争をしているので、いや、戦争など無くても、「別れ」がやってきます。そして、のんきに「お出かけ」などしていても、戦死するものはいます。しかも、戦争は、まだ「前半戦」なのであり、やがて絶滅戦争が始まるのです。だから、本筋からちょっと離れて、「別れ」というものについて復習をしておきましょう。

二人が一緒になるときの「たかさごやー」で始まるお祝いの謡には、当然のことながら別れの謡が対になっているのですが、ご存じでしょうか。

高声や
この屋根舟に水入りて
遠く泣くほど沖すぎて
波のあわれの石垣や
はや闇の夜になりにけり

(あまり引用したくないけど・・・・・・引用元のひとつ)

この謡曲の主題は「別れ」です。

隅田川、と言ってもだいぶ下流で大川と言われていた辺り。当時は荒川放水路などというものはなく、隅田川の川幅は広く水量は多く、それなりの速さで流れていました。遮るものもなく、微かな潮の香りを含んだ風がさあーっと通り抜けていきます。昼間の暑さが嘘のような気持ちの良い夕方です。

この隅田川で、宴会用の屋根付きの舟を貸し切って騒いでいる一団がありました。 親戚の集まりなのでしょうか、小さいお子達もいれば、じいさまもいれば、いかにも親戚のおじさんといった感じの酒飲みも、 たくさんいます。

この中に、若い母親がおりました。わあわあ騒いでいる酒飲みの相手をするのに疲れて、若い母親は風に当たろうと、甲板(ちょっと大げさですね。小さな舟ですから、お座敷から階段を数段上がった川面の見える板張りです)に出て来ました。柔らかな風が滑るように通り抜ける川面には、船遊びらしき明かりがいくつか見えます。近くの舟からは、やはり酔っ払いどもの騒ぐ声が聞こえるのですが、この風にあたりながら暗くなり始めた川面に浮かぶ暖かな色の灯りを眺めていると、その騒ぎ声さえも遠く懐かしい響のように感じられて来るのでした。若い母親は、すっかり気分が落ち着き、座敷に戻ることにしました。しかし、階段を下りると、どこから入ってきたのでしょうか、畳の上には膝の辺りまで水が入っています。

若い母親は驚いて、みんなに水が入っていることを言うのですが、なんということでしょう、誰も聞いてくれないのです。もう、座っている人たちは腰の辺りまで水に浸かっているのに、気付かないなんてあり得ないことです。

そんなことよりも、二歳になるあの子の姿が見えません。まさか!

甲板に駆け上がります。恐ろしいことに、舟の外から泣き声が聞こえます。

若い母親は[泳げないのですが]川に飛び込もうとします。けれども、なにか目に見えない壁でもあるのでしょうか、どうしても、舟から出ることができないのです。

泣き叫びながら座敷に戻り、片っ端から酔っぱらいどもの肩を揺さぶり、突き倒し、顔に爪を立て拳で叩いて、なんとかして気付かせようとするのですが、なにをしても無駄です。腰まで水に浸かりながら、全く気付かずに宴会を続けています。

甲板に駆け戻ります。泣き声はどんどん遠くなります。隅田川の河口はすぐそこで、その先は海。どうしようもないほど速く、泣き声は遠く消えてゆきます。舟からは出ることが出来ません。

逃れようのない事実は躊躇うこともなく、若い母親に向かってどこまでも近づいてきます。なにもできないこと、あんなに泣いているのに助けに行けないこと、あの子に二度と会うことができないこと。すべては不思議なほど、あっけなく進んでいきます。そして、信じられないことですが、遠く微かに聞こえるあの泣き声も、聞くことができなくなってしまうのでしょう。

さっきまで、あんなに騒いでいた宴会の声は(もし座敷を見るならば、あいかわらず騒いでいる様子が見えるはずですが)、もうまったく聞こえません。

聞こえるのは、岸辺の石垣に当たって砕ける波の音だけです。

若い母親は、もうほとんど聞こえなくなってしまった泣き声を、それを聞くのは本当に辛いのですが、なんとかして聞き取ろうとしています。けれども、それすらも聞くことができなくなって行くのです。

すでに、あたりは真っ暗です。

さて、死んだのはどちらなのかと言うと・・・ それは問題ではありません。いずれにせよ「別れ」は「別れ」なのであり、周りにいくら人がいようとも、「別れ」にはひとりで出会わなければならないのです。

波は、繰り返し繰り返し岸辺に打ち寄せ、形を保っていた波は石垣に当たって形を失います。これは、ずっと昔から繰り返されてきたことです。とは言っても、そのことが若い母親の慰めになるのでしょうか。 確かに、ここには日本的な(仏教的なと言うべきでしょうか)諦めが在るのかも知れません。「別れ」と言っても、西洋の「若い母親の物語」とはずいぶん違います。そういえば、少女クララは「最初に諦めがあるから、舟から出られないんだ」と、やけに厳しいことを言っていました。

「たかさごやー」に対する嫌がらせは、このへんで止めにしておいて、駒込の酒飲み達のもとに戻ることにしましょう。

3.5 お別れ

もう、相当な量の酒を飲んだのでしょうが、「あめのうずめのみこと」 はさっきほど騒がしくなく、日本の武士達とちょっとしんみり話をしています。

「神話って知ってるでしょ」
「最初に陸地とかまだ分かれてなくて、それから葦牙あしかびとかモワーと浮いて来てから色々出来てね、そんな風にして、お上の時代まで続く話」

「でも、あれって本当のこと言うと、人間にすごく近いお上から、"かみがたち"ってものを作りながらだんだん遡って行って、ずっと昔になってしまうと陸と海の区別もつかないくらいわからなくなるので、そこを出発点にして語っているのです」

「だから近江守は、要するに、神形ってものを作ることをお上に許したから大事にされているわけで・・・ので・・・私たちの中でも、近江ちゃんの言うことを聞いて神形のなかでじっとしていることにした連中だけがね」

「それとねぇ、みんな グランド キャニオン, グランド キャニオンって言うんだけど、フォッサ マグナ の方がわたしは・・・」

などと。まあ、Grand Canyon については、わからないでもないのです。砂漠のような地域にあろうと、仮に鬱蒼とした森の中にあったとせよ、たかが水の流れがこさえたに過ぎない溝が豪快極まりない姿であることに変わりはなく、そのあからさまな姿勢が、日の本の情緒に浸りきっている「あめのうずめのみこと」には、お気に召さなくなっているのでしょう。そこへ行くと、おなじ「溝」であっても、Fossa Magna はユーラシアの西の国とアメリカの隔たりのように広大であるにもかかわらず、地質学者に指摘されないと気がつかれないくらい慎ましやかな姿なのであり、そのステルス性が「あめのうずめのみこと」のお気に入りとなった由縁なのでしょう。

兎に角、こんな具合で、わかるようなわからないようなことを言っているのです。こんな話を聞いていると、日の本の神々ってなんなのか、ますますわからなくなります。確かに、近江の琵琶湖と 「fossa magna の泉」諏訪湖の間柄はよくわからないし、他にも、間柄のよくわからない神々と言えば、住吉三神(ソコツツノオノカミ・ナカツツノオノカミ・カミツツノオノカミ)、大国主大神、大物主大神、おお吉備津きびつ彦命ひこのみこと 宗像むなかた三女神(お蝶・お蘭・ひろみ) など、数え上げれば切りが無いのです(⇒ 三女神 )。

そもそも、「あめのうずめのみこと」 は人とどこが違うのでしょうか。ご不浄にも行くのです。以前、押しかけてきたみんなで、たまには外の店に行こうかという話になったことがあったのですが、そのときも「あめのうずめのみこと」 は「ちょっと便所行ってくるから、先行ってて」と、言うことが身も蓋もないのです。しかも、騎士の皆さんが、じゃあ待っていると言うと「大きい方だから時間かかるよ。先行ってて」などと。 もう、なんと申し上げればよいのか。

そんなこともあって、椎名側の武士のひとりが、「あめのうずめのみこと」 というご婦人はどんな風になっているのか、と知りたくなったのです。しかし、日の本の武人が「どんな風になっているのか」一番知りたいことは、「一刀両断は可能であろうか」ということなのです。男として変です。しかし、彼は大胆にも「あめのうずめのみこと」 に「この刀で斬りつけたら切ることは可能なのでしょうか」と、あからさまに聞いたのです。「あめのうずめのみこと」 はあっさり言いました。

「うん、切れるよ」「切ってみる?」

凄んだわけではありません。「ブルーチーズだけど食べてみる?」と言うくらいの調子です。

「いえ、切ってしまったら、もうお目にかかれなくなりますし」

「だいじょぶだよ」

会話は、ちゃんとかみ合っています。どうして「だいじょうぶ」なのかは、わかりませんが、この武士の想像では:

切ることは出来るだろう。そして死ぬのだろう。死骸は腐るだろう。
しかし、数日かそこらで、「あめのうずめのみこと」 は、そこの扉を開けて入ってきて、 「飲む? あっ、でもその死骸かたづけなくっちゃ」 と、まあ、こんなとこか

この武士は納得しました。

さて、「あめのうずめのみこと」 は、「近江守」の話に戻っています。

「私たちが、降りてきて征服したことになってるけど、そうじゃなくて、近江守が神形を許したから、私たちはわかるものになっただけで」

「お上はいいんだけど、周りがなにかとねえ。 京都だと牛車に乗っててもね、皇族の列車が遅れていますので、この列車は当駅で時間調整します、とか言い始めるのです。あれは嫌」

「東は住みやすいなあ、本当に。もう、箱根辺りにベルリンの壁でも作ってしまおうかと」

酔っぱらいの言うことなので訳がわからないのですが、この時代に「ベルリンの壁」はあんまりなので、後でもう一度触れることにしましょう。それはともかく、ぶつぶつ言っているうちに、だんだん「絡み上戸」のモードに戻ってきています。

「だいたい、せっかく近江ちゃんが引きこもっていたのに、オモイカネが踊って良いって言うから神モードで踊ってたら、近江守は怒って出てきてしまったのです」

「今だって、怒って押しかけて来ると思うでしょ。でもね御安心を! 大丈夫なのです。帰っちゃわないように、伊勢の神宮に閉じ込められているのです」

「岩戸のことは腹立つけど、オモイカネだって彼なりに考えてやったことだから、あっ、彼、考えることしかできないけどね。でも、私だけ、おみだらってことになって、それよりも、私だけ姫がつかないのは許せない」

「姫の称号」となると、標的にされるのは「このはなのさくやひめ」と「このはなのちるひめ」のデュアル姫です。この二人は、おつまみを載せたお盆を仲よく一緒に持って、みごとな「巫女さんステップ」で歩き回っています。巫女ステップと言っても、彼女たちは巫女ではなく神ですから、そのステップは地に足がついていないかのように軽やかで、まるで互いに相手の周囲を回転しながら天空を歩む双子星のよう。かろうじて節度を保っている酔っ払い共の間を、野原でタンポポの綿毛を追いかけている子猫のように楽しげに巡り歩いています。

しかし、「あめのうずめのみこと」はためらうこと無しに、この美しきデュアル娘に絡み始めます。

「だいたい、あんたたちは、」

元に戻ってしまいました。これでは、永遠にこの絡みのループから抜け出せません。そうなのです。純粋に神々モードの場合、デュアル姫の天体力学的調和を引っかき回す「あめのうずめのみこと」の如き存在をもってしても、ループから抜け出すことは出来ず、循環は永遠に続くのです。 回転しながら空中に浮かんでいる輪っかみたいな存在です。

しかし、この場には、人間達がいます。いかに暇な戦争でも戦時は戦時。いつまでも「お出かけ」のまま、というわけにもいかず、「そろそろお暇を」という時刻になりました。

ウサメさんは笑い上戸、絡み上戸はこなしましたが、泣き上戸はまだです。廊下にカトリーナ姫の姿を見かけると急に悲しそうな顔になります。そして、「お暇」を申し出ているひげ面の武士に視線を移すと、今度はいきなりその武士の頭を胸元に抱き寄せ、わあわあ泣き出してしまいました。

狼狽し、また、とてつもなく嬉しくもあり、武士はすっかり高揚してしまいました。しばらくして、泣き続ける「あめのうずめのみこと」 の腕をそっとはがすと、立ち上がり、西洋の騎士のような仕草で礼をして、出口に歩いて行きました。そして、すっかり舞い上がってしまっているその武士は、出口のところで振り返って言ったのです。

「散らない花はただの造花だ」

そして、みんな揃って戦場に帰っていきました。

「あめのうずめのみこと」 は、その姿を見つめながら、とても小さな声でただ一言

「バカ」

と囁きました。この一言には、ふたつの相があるのでしょう。ひとつは、人としての相からの願いで、戦場に行かずに戻ってほしいと、せめてもう一度「お出かけ」で会えたらと。これは叶わぬ願いであり、もうひとつは、

「そこ」に戻っていらっしゃい

という「あめのうずめのみこと」 ならではの、不可思議な受容なのでしょう。でも、ここには少し 「インド趣味」が入っているようです(⇒ インド趣味としての「そこ」)。 日本の神々のインド趣味については、後でみることにしましょう。

戦争の話のはずが駒込のことばかりになってしまいましたが、要は、戦場では たいしたことは起こらなかったということです。

3.6 御魂ちる

戦争は決定的な転機を迎えます。

King Arthur と椎名氏は、さすがに相も変わらぬ半端な一騎打ちにも飽き飽きして、馬から下りて甲冑をはずし、己の武芸のみを頼って、剣と刀の決闘をすることになりました。ふたりとも、剣技には自信があり、また、互いに相手の腕前も認めていましたので、どちらが倒れたとしても、それは納得のゆくことだったのです。戦争はこれで終わりになるはずでした。

決闘が始まり、King Arthur と椎名氏の剣と刀は幾たびか火花を飛ばし、さっと間合いを取ると、ふたたび間づもりを測りながら流れるように構えを変えてゆきます。椎名氏は、切っ先を相手の喉元に向け刃を外側にして寝かせた刀を頬の高さにぴったりと保ち、King Arthur は Dragen と呼ばれる上段の構えに似た構えで応じます。そのとき、椎名氏のぴたっと構えた刀の先に蝶が留まったのです。椎名氏が見た情景は、切っ先に降りた蝶から、鏡のように磨かれた刀の表面をプリズムの光のような色とりどりの光が流れてきて、それが、自身の身体から噴きだした真っ赤な血しぶきが作る、大きな蝶が羽を広げたような形に変わる光景だったのです。これが椎名氏の現観として何であったかはわかりません。しかし、これが椎名氏の見た情景だったのです。ただ、これは椎名氏にとっての世界であって、客観的に言うならば、この決闘の結末は、次のように描写すべきなのでしょう:

切っ先に蝶が留まったとき、日本のもののふの心得として当然ですが、椎名氏は上の句を読もうと(刀の先の蝶にかまわず打ち込むなど、考えられぬことです)、心の構えは完全に必殺の刃から外れました。不幸なことに、いかに日本に馴染んでいようともKing Arthur の心の土台は西洋です。頭では理解できることだったのかも知れませんが、一瞬の反応にはならなかったのです。椎名氏が必殺の間合い寸前で作ってしまった不用意な隙に、King Arthur の武芸者としての鍛錬は反応し、そのまま踏み込んで剣を振り下ろしました。椎名氏の心は切っ先の蝶に向いています。決闘はそれで終わりました。椎名氏はうめき声をあげる間もなく死にました。

「卑怯だ!」

椎名氏の武士達から声が上がります。彼らは蝶が止まったのを見た瞬間、歌詠みが始まると思ったのです。

なんのいわれもなく王を卑怯者呼ばわりされたのですから、King Arthur の軍勢は激高し襲いかかろうとします。King Arthur はそれを制止しました。King Arthur は、すぐになにかあったと気付いたのです。椎名氏が、ありえない切られ方をしたのですから。

椎名氏の軍勢は、椎名氏の亡骸を埋葬するために引き上げていきました。戸板に載せて亡骸を運ぶ途中、椎名氏の体(すでに死亡しています)から、青いきらきらした光の粒が出てきて散らばって行きました。椎名氏の御魂は屋敷に帰りつかず、ここで散っていったのです。ここは後に「タマる」と呼ばれ、やがて「たまちる」、みたまち」を経て、「たまち」へと呼び名は少しずつ変わって行きます。

その夜、急を聞いて駒込から、椎名氏の身内はもちろん、カトリーナ姫やクララ達も椎名氏の屋敷にお別れに来ました。屋敷の者達は、カトリーナ達を暖かく迎えました。少し時間があれば、何があったか察しはつくのです。原因はむしろ、決闘の場に日本の武人だけの了解を持ち込んだ椎名氏の油断とも言えるのですが、これを油断というのは、あまりにも酷なことです。判断などというものではなく反射により、椎名氏のモードは戦いから「もののあわれ」に切り替わったのですから。

カトリーナやクララはよくわかっていました。だからこそ、椎名氏の身内のように、いや、むしろ御身内よりも深く悲しんだのでした。御身内達は、西洋人のこの共感を有り難く、また、うれしく思い、以後、椎名氏の屋敷を「しんぱしー」と呼ぶことにしました。今の「新橋」の辺りです。

3.7 絶滅戦争へ

King Arthur は、深い沼に沈んで行くような気持ちでした。戦争の始まりも、決闘の不幸な結末も、すべて自分の責任のように感じていたのです。

King Arthur は心を決めました。いかなる譲歩をしても良いから、負けということになってしまっても良いから、この戦争を終わらせようと決心をしたのです。しかし、その夜、King Arthur は暗殺されてしまいます。

やはり、あの場で発せられた「卑怯だ」という叫びは、回復できない波紋を拡げてしまったのでしょう。当時としては最高の忍術を身につけていた馬廻りの者が(この男は、穏健派家臣の代表格安房守に仕えていました)、ただ一人独断で、五反田の宮殿に忍び込んだのです。古江戸の歴史の不運は、その夜、クララが King Arthur のあまりの落胆を心配して、駒込に帰らず宮殿に残っていたことでした。暗殺者は、寝室の外の廊下で、Arthur の様子を見に来たクララとはち合わせしてしまいます。敵の宮殿のまっただ中で、目標の王は扉のすぐ向こうにいます。ためらうことなくクララの口を押さえ一刺で絶命させ、静かに扉を開け寝台に近寄ると、King Arthur は目を開けて静かに暗殺者を見つめています。おそらく、争いの気配で目を覚ましていたのでしょう。しかし、まさかクララが殺されたとは思ってもいません。すでに気力を失っていたArthur は、ここで命を落とせば痛み分けで戦いは終わるとでも思ったのでしょうか。こんなことでは、すでにまともな判断能力を失っていたと言わざるを得ません。ただ、勇敢で高潔な騎士 Arthur にとって、戦いではなく敗北を選ぼうと覚悟することは騎士としての生き方を捨てるに等しいのであり、心の内側では敗北よりも死を待っていたのでしょう。Arthur は目を閉じました。

暗殺者は大声で名乗りを上げ、駆けつけた家臣達と戦い、体中に剣を突き刺され針鼠のような姿で死にます。King Arthur の騎士達が部屋に飛び込むと、そこで見たものは、目を閉じて横たわる王の死体であり、そして壁を飾るタペストリー、岸壁を飛び移る岩猿を描いたタペストリー、だったはずのものなのですが、それは頸動脈から真上に吹き上げた血しぶきが作ったリンゴの木の模様に変わっていたのです。王は、睡眠中に暗殺されたに違いありません。このようなことをするのは戦士ではありません。品性卑しき殺し屋の行いです。それなのに、その殺し屋は厚かましくも名乗りを上げているのです。魔術師かもしれません(後で、この者が馬周りの者と知るのですが、結局、「うままーり」という名の魔術師と思い込むのです)。もっと許せないことに、あのクララまで殺すとは!

このようにして、「騎士道と武士道の美しい戦い」は突然終わりを告げ、憎しみと非寛容、そして理解でない相手への恐怖に支配された、殺し合いが始まりました。

西洋陣営の騎士達にとって、安房守は椎名氏の軍の中でも特に信頼できる高潔な騎士だったのですが、その安房守配下の者がクララを殺すという、まったくあり得ない事態に直面したのです。それまでの東洋の騎士達への信頼感は逆転し、似たところがあるからこそ、それは、うわべで欺く悪魔のやり口と受け取られるようになったのです。

椎名氏の陣営では、やはり大きかったのは、椎名氏が受けた「侮辱」がなにかを知らないことでした。戦いに信頼が残されている間は良かったのですが、敵側が自分たちを悪魔のように思っていることに気付くと、それに呼応して、殺された主君の受けた想像上の「侮辱」は際限もなく膨張してゆきます。

もはや、戦いを終わらせる手段はなく、戦いの惨さに枠をはめる手段も残されていません。絶滅戦争が始まったのです。

3.8 MalNotch

絶滅戦については語りたくありません。相手を皆殺しにしようとする戦いが、延々と続くのです。それは本当にむごたらしく、下劣な戦いでした。

どちらの陣営にも、なんとか人間性(もはや、騎士とか武士という水準ではなく、人間としての最低限の枠ですが)を保持させようとする勢力もあったのですが、それが内部抗争につながります。どちらの陣営も、敵に殺された者よりも味方同士の争いで死んだ人数の方が多かったのです。しかも、「戦争に手段を選ばぬ派」は「良識派」を嫌って、それは酷たらしいやり方で殺すのですが、「良識派」はと言うと、そんな非人間的な行いは選ばず淡々と「戦争に手段を選ばぬ派」を処分しました。結果としては、「良識派」が殺した人数の方がずっと多かったのです。さらに多かったのは、「殺された」というよりも「死んだ」人数です。直接に殺さなくとも、社会を基盤とする集団では、社会が崩壊すれば放っておいても人は死ぬものなのです。

もはや、駒込も安全ではありません。カトリーナ達は武装する必要が出てきました。そこで、ばた川を渡ってからもう一つ小さな川を越えて、勘太川を南に見下ろす台地を少し西に進み、アルテミスを祀る男子御禁制の乙女沢の東の貴常山きつねやまに砦を築いて立てこもります。その城は女の兵士だけで守られたので、女の城「女城(めじろ)」と呼ばれました。

ああ、もう絶滅戦争のただ中で山手線駅名を語っているでもありません。一応まとめて、残りを片付けてしまいましょう。


子孫女(駒込) Tabatha(田端)
(西日暮里は無視) 日本林(日暮里)
ウイグルイスダンニ(鶯谷) (上野)
多かチーマ(御徒町) Arch-Vajra(秋葉原)
勘太(神田) (少し飛ばして)
シンパシー(新橋) 浜マッチョ(浜松町)
魂散る(田町) 椎名側(品川)
Arthur King (大崎) God Under(五反田)
顔黒(目黒) ABC(恵比寿)
シブダンニ(渋谷) はーらじゅく(原宿)
Sir Arthur King (代々木) しんじ君(新宿)
心王区分(新大久保) Tathagata bhava(高田馬場)
女城(目白) 生きぼくろ(池袋)

こうして池袋まで来ると、「もういいって・・・やってられん」という気がしてきて、「お疲れー」といって終わらせたくなると思う。それが、大塚という地名の由来である。巣鴨は本当にもう知らん。

残りは、有楽町と東京だが、有楽町は後の地名。東京に至っては、後の名であるだけでなく、そもそも江戸全体が東京になったのに、そのなかに東京があるのは変である。これは地名ではなく単なる駅名に過ぎない。この辺りの地名は丸の内であり、ここが MalNotch のあった場所なのだ。

どちらかの陣営の何者かが MalNoch を作動させた。誰が、どのように追い詰められてこのようなことをしてしまったのか、それはもはや分からない。MalNotch は作動したのである。

3.9 その後

MalNotch は作動した。

何が起きたのか。それがわからない。大爆発だろうか。それならば、遠くから、つまり、その作用により死に絶えることのない遠くから見ても、なにかは見えたはずであり、話が伝えられているはずだ。毒なのか。疫病か。しかし、人が死ぬより早く石が崩れて砂になったと伝えられている。毒や疫病とも思えない。

女城に立てこもっていた子孫女は助かったのか。古江戸に住む人たちは死んだのか。それとも、多くは逃げることが出来たのか。それもわからない。

「御徒町」という名前で穢土の頃の地名を隠そうとした家康の振る舞いからも察せられる通り、歴史を消し去ろうとする努力は、常に在った。それにしても、権力が隠そうとするからこそ、伝えようとする者も出てくるはずなのだが、 わかっていることは、あまりにも少ない。

そもそもMalNotchが今の丸の内にあったとしても、穢土化の中心もそこなのか。それもわからない。ただ、中心であったかは別として、穢土化に利根川中流が関わっていることは確実である。後の江戸幕府は、利根川の流れを変え、河口を東京湾から千葉の外海に追い出そうとする。なぜか。

この点を隠そうとする試みは執拗を極める。おそらく真相をすべて知るものは、幕閣の中でも数名だけであり、他は伊奈家の当主だけであったのであろう。いや、老中でさえ知らず、伊奈家代々の当主のみが真相を伝えてきたのかも知れない。

「利根は隠せ。これに士道なし忠義なし」

利根川には、明治の世になっても得体の知れぬ毒の話が繰り返されるのである。

瞬発的な作用が存在したか否かは別として、数百年規模の遅発効果も存在したことは確実である。この長期性の穢土化は、そこに立ち入るものに、やはり即効的ではない不幸をもたらしたのであろう。おそらく、それは穢土化直後には確実な死をもたらしたのであり、百年単位の時間の経過により、その効果は寿命を極端に縮める程度のものに落ち着き、それも次第に弱まり家康の頃には、どうにか寿命の差が見分けられるという程度の穏やかな効果になっていたのであろう。

ただ、その寿命の差は、なんらかの特徴のある死でもたらされた寿命の差であり、その特徴ある死が、穢土を恐ろしい土地となしていたのだ。その特徴ある死が他の死より苦しいものであったかが問題なのではなく、それが穢土の特徴の死であることが、穢土が穢土である要因であったのであろう。

古江戸は穢土となり、穢土だけでなく広く箱根より東の地方全体が 、なにやら文明というものから遠い地方、という印象に変わってしまったのである。


MalNotch により、古江戸は滅びた。

しかし、滅びるにしても、人より先に石が崩れるという滅び方は気味が悪い。

丘のこちら側には、生き物たちの緑の大地が拡がっている。植物たちの緑の世界、土の中のミミズたちの世界、骨格を持つ地上の生き物たちの世界、これらは何の変わりもなく、そしてこれからもずっと続くかのように、生き生きと営まれている。石は硬く、岩はどっしりと土にめり込んでいる。しかし、石は崩れ骨格を持つ生き物たちは死んでゆく世界は、すでに丘の向こう側まで迫って来ている。

丘に登って向こうを見ると、そこは、石の壁はさらさらと崩れてゆき、足下の石は角砂糖のように脆く潰れてしまう火山灰で煙ったような世界である。それがこちらに近づいて来る。骨格を持つ生き物は死に絶えても、植物は生きているはずである。しかし、瑞々しいはずの植物たちも火山灰のようなほこりに覆われ、植物の保持する水の気配は全く感じられない。そして、もやのような煙った空気の向こうに、動かない炎がいくつか見える。 炎はなくなったり新しい場所に現れたりするのだが、その数は、だんだん少なくなってゆく。 丘の上でこの光景を見ている人は、すでに息をしていない。 仰向けに倒れ、目は空を見ているが、視界は暗く、真っ暗な視界がゆらゆらと揺れている。

石や岩は、人が依って立つ堅固な土台である。それが崩れてゆくわけである。 なぜこんなことになってしまったのか。確かに、 あまりにも思いつきの出鱈目ばかり並べ立てているから、こんなぐずぐずに崩れた世界になってしまったのだ と言われれば、そうかもしれないのだが、「死んだ火」まで持ち出すのは、あんまりだと思う。