古独ソ戦の存在は,
からの単純な類推である。古独ソ戦についてはわからないが,このパターンは,
互いに共鳴する類似した2つの存在 + 異質の存在
というトリプルの例となっている。
このパターンのトリプルは普遍的に現れるのだが,「客観的歴史」として承認されるのは,常に,トリプルのうちの1つだけである。一方,神話や民間伝承となると,トリプルはトリプルとして語られるのだが,時間の経過と共に,共鳴対はその類似性故にひとつにまとめられてしまうか,もしくは,共鳴対の一方のみが主役となりもう一方は影に隠れてしまう傾向があるようだ。
共鳴対と異質の存在の典型的な例は,「このはなのさくやひめ」の3人息子
Holy, Haute Délie, Hosiery であろう。Holy はそのまま holy であり,Délie は l'Idée から文字の並べ替えで生成されており,それぞれ,西洋騎士道における女性の理想化である「聖なる処女」と「至高の徳性」に対応している。この共鳴対に対して,Hosiery は[この場合は女性の]靴下であり,女性の下半身と結びついた大地を踏みしめる存在。Hosiery は生み出された存在「大地」に立ち,生み出す存在の内面的神秘「海」に戯れかかるのがいつものお仕事である。日の本の神話では,共鳴対の一方 Haute Délie は Holy に吸収され,ひたすら山の頂を目指す Holy と 特殊な靴下を縫う Hosiery の物語になる。物語では,高みを目指すことに疲れ果てた Holy が,Hosiery から靴下を縫う針を借り受ける。このような方面には疎い Holy は針を海で失い Hosiery に責められるのだが,皮肉なことに,針を探すために仕方なく海の奥深く潜っていった Holy は,深淵に受け入れられ,海の力を背景に大地の支配者になる。こうしてHoly の系譜が日の本の大地の支配者となるのだが,その威光の背景は海の深淵なのである。
もう一つ,triple の例を挙げるならば,カトリーナ姫,(アレクサンドリアの)聖女カトリーナ,ヒュパティアの triple である。しかし,この場合,誰が共鳴対で誰が異質なのかは意見が分かれるのである。
普通に考えれば,ふたりの賢女,即ち聖カトリーナとヒュパティアが共鳴対であり,カトリーナ姫が異質なのだが,カトリーナ姫は納得しないのである。カトリーナ姫の主張するところは
わたしとアレクサンドリアのカトリーナが一緒です。アレクサンドリアの聖カトリーナは ・・・ 車輪のことは良くわからないし,聖アンに見守られてマリア様のお膝にのった幼子と神秘の結婚をするという,あの「究極の年上のお姉さま」というのも良くわからないんですけど,でも名前同じだし,ふたりとも剣持ってるから同じです。ヒグマの爪のような貝殻で肉を削がれる乙女ヒュパティアが異質なのです。
となるのだが,これはどうかと思う。剣のように鋭い論証能力を持つ賢女カトリーナと,言語表現能力がカトリーナであるカトリーナ姫が同類というのは,あまりにも無理がある。ただし,イエスキリストとの神秘の結婚が(聖カトリーナはキリスト受難よりずっと後の人なので,どうせ時代を遡るならばどの年齢のイエスキリストでも良いはずなのに),言葉を発することのない幼子イエスとの結婚であるという点は,その気になればカトリーナ姫の主張を擁護する材料として採用できそうである。しかし,どのように解釈したものか・・・
なお,「車輪を壊す」ということについては,聖カトリーナの場合,インド趣味の解釈は成立しないと思われる。循環する世界という異教の観点を打ち砕くという象徴と捉えるのも,おそらく無理。西洋では,死刑に車輪を絡ませることには特別の思い入れがあるようだが,なぜかは不明である。
もう一点,「ヒグマの爪のような」という喩えであるが,なぜカトリーナ姫がこの喩えを用いたのかということは,気にかかる。「ヒグマの爪」は「あめのうずめのみこと」に絡むのである。
これは,勘太縁の審問官が「あめのうずめのみこと」立ち会いの下で,Katz 伯に審問を行ったときの話である。審問官の気がかりは, Katz 伯が「カブトムシ」から聞いたと噂になっていた目撃談であった。ここで言う「カブトムシ」は,枯れ滝の側で「あめのうずめのみこと」と健太くんが色々していたとき,木の上からそれを眺めていたカブトムシさんのことである。「あめのうずめのみこと」の立ち会いを要求したのは Katz 伯である。彼女は
「女性を立ち会わせて淑女のプライベートな行いについて尋ねるなんて,なんて失礼な人たち!」
と(一応は)抗議したのだが,審問官は( Katz さんも )意に介さなかった。以下はお気楽な Katz 伯の証言である。
「女性ですか。確かに牝なのかも知れませんが。問題になるのは,健太くんが枯れ滝のところで振り向いたところからです」
「健太くんが振り向くと,そこには凶暴なヒグマが立って居ました。ヒグマは健太くんに襲いかかります。健太くんは素手でしたが,そこは流石,戦う気満々でヒグマに立ち向かいます。しかし,たとえカトリーナ姫でも,素手でヒグマ相手は無理だったでしょう。いや,素手でヒグマ相手となると,健太くんの方がまだ戦闘力があったかも知れません。いずれにせよ,勝負にならないのですが」
「ヒグマは勇敢な健太くんを一撃で仕留めると,ますます凶暴さを発揮し,鋭い爪で力任せに血に染まった衣服をすべて(とついでに皮膚も所々)はぎ取り,腹に牙を立て内臓を引きずり出し,死骸(まだ生きているのですが,ほとんど死骸です)を振り回しました。それから,健太くんを食べちゃった訳ですが,巨大ヒグマと雖も全部召し上がるには多すぎたようです。食べ飽きてしまったヒグマは,食べ物が目の前にあるのは目障りだったのでしょう,枯れ滝に蹴落としました。それから,あー喰った喰ったという風情でお腹をなぜながら,ゆったりと去って行ったのです」
「これが,カブトムシが見た情景なのです。生と死の両側に立つあなたならではですね」
「ふっ,カブトムシだから,そんな風に見るのです。まあ,ヒトもカブトムシも似たようなものだけど」
「ほお,さすが神ならではのおっしゃりよう。兎に角,あなたは凶暴なヒグマだったのですね」
「ええ。肉食系とおっしゃりたいならならばそれでも」
審問官という職務からはどうかと思うのだが,審問官は「あめのうずめのみこと」に同情してしまった。
「あなたも大変ですね,Katz 伯と安房守の御相手は。それにしても,あなたが健太くんを食い殺したとは」
「そんなことない。あれはカブトムシが見たこと。わたしは健太くんをとても優しく親密に」
「そうでありましょう。そうなのでしょう。食べちゃったこと,つまり,取り込んでしまったことに変わりはありませんが,どちら側から見ているか,という見方の相違なのでしょう。どちらにしろ,女の子として生まれカトリーナ姫になるわけですがな」
審問官は,さすがにやる気を失っているようだ。西洋ではマグダラのマリアを男性に変容させてからどうのこうのと苦し紛れの工夫をしているというのに,「健太くん」を女性に変容させると「神の如き才能」を得るとは,全くもって怪しからん話である。それどころか,こんな調子では,主を釘付けにした十字架を抱擁と捉えるとんでもない妄想にまで発展しかねない。しかも,そのような妄想に陥った不心得者を「鉄の処女」に放り込んでやっても,「母なる処女(マリア)の抱擁」と喜びかねない。実に怪しからん。しかし,ここは日本である。相手は「あめのうずめのみこと」である。諦めるしかないのであろう。
ところで,これは何の注だったのだろうか。確か,「古独ソ戦」だったか ・・・ それならば,聖カトリーナが良い例になる。「古独ソ戦」は,独ソ戦をヒュパティアとしたときの聖カトリーナの如き存在なのである。