お裁き

Ⅱ お裁き

さて、ヨアキムにもある日、死が訪れました。しかし期待してはいけません。劇的な、もしくは教訓的な死を迎えたのではなく、山道を歩いていたとき、落ちてきた石に頭を割られて、それこそ苦痛を味合う暇もなく、あっさりと死んでしまったのです。

しばらくして、ヨアキムは死の気絶から立ち上がりました。ヨアキムは古い田舎の学校のような建物の廊下に立っていました。さあ、大変な事態です。

石が頭を割ったとき、なにが起きたかは気づいていました。そして、自分が死ぬことにも。死の気絶から立ち上がるときは、頭が割れた自分の死体も見ました。それでも、ヨアキムは存在してここに居るのですから、人生の大前提が、いや,人生が終了した後についての大前提だったもの,とでも言うべきでしょうか、兎に角,そいつが崩れてしまったのです。これは、かなりまずい事態です。

でも、ヨアキムはまだボーっとしていたので、しかも学校の廊下(床も壁も白いペンキで塗られています)などという現実離れしたところに居るので、特になにか考えることもなく、ふらふらと歩き始めました。最初の角を曲がると、やはり廊下が続いています。壁には当時有名だった「脳の学者」の写真が掛けてあります。その写真がしゃべり始めました。

「考えも感情も大脳の中で起こる化学的変化にすぎない。お前が今見て考えていることも、単なる大脳の中の一つの現象に過ぎないのだ」

ヨアキムはなかなかの知力を持っていたので、この台詞でちょっと楽しくなりました。

「そうかい。大脳の中の一現象に言われちまったんじゃ、世話あないな。しかも壊れた大脳の中のな!」

ヨアキムはまだボーっとしているようです。

ふらふらと歩き続けてつぎの角を曲がると、やはり長い廊下が続いていて、しかし今度は廊下の途中に白い服を着た子供くらいの背丈の二人の人間が立っていました。実は、この二人は神なのです。つまり双子神が立っていたわけです。ヨアキムは近づいて行きます。そばまで来ると、二人は全身から「私は神である」という雰囲気を発しながら、おもむろに口を開きました。

われの名前はヤー天
吾の名前はマー天
二人併せてヤマってんだ

ヨアキムはさすがにあきれて絶句してしまいました。ヨアキムが反応を示さないので、二人は少し困った顔で、もう一度念を押すように繰り返して、ヨアキムの顔を窺いました。

二人併せてヤマってんだ。二人併せて「ヤマ天」だ。

こんどはヨアキムの目にはっきりとした嘲笑の色が浮かびました。それに気づいた夜魔天(閻魔)の顔は、見る見るうちに怒りで真っ赤になっていきました。それでも、さすがに裁きの神としての冷静と優越をかろうじて保って、ヨアキムに「裁き」を言い渡し始めました。

この悪者わるものの悪事を数え上げるに、三歳の時、嘘により家僕を死に追いやったを始めとして、・・・・・・

長くなるので省略します。省略している間もずっと続くのですが、やがて肝心な「言い渡し」に入り

と始まったのですが、これも省略します。とにかくヨアキム本人でさえ、よくもこれだけ飽きもせずやったことだなあと呆れるほどの罪業を、そのたびに何倍にする、何倍にすると数え上げてゆくので、「言い渡し」が終わる頃にはヨアキムはすっかり退屈してしまって、ようやく「以上である」と告げられたとき、思わず欠伸をしてしまいました。

「恐怖に打ちひしがれ許しを請う罪人」を期待していた夜魔天はかなりムッとしたようです。当然のことです。しかし、ヨアキムにしてみれば、この事態は、「現実」のようではあるのですが、同時に、壊れた脳の中での夢のようでもあって、この事態にさっぱり現実味を感じて居なかったのです。
夜魔天は怒りを隠した冷たい顔をして、ヨアキムに告げました。

更に二倍にする

まあ、さすがに裁きの神だけ在って、これは冷静な処置とも言えるでしょう。なにしろ、それまで、「八万倍にする」とか「五百倍にする」とか飽きてしまうほど繰り返したのに、自分が侮辱されたことに対して僅か「二倍にする」を付け加えただけなのですから。

「言い渡し」が済むと、「立場の相違」というものを、これ以上に見せつけるものはない無関心を示しながら、夜魔天はフッと消えてしまいました。

「ようやく消えたかいな」と思ったか思う間もなかったか、その瞬間です。ヨアキムの立っている床にポカっと穴が開きました。その下には真っ暗な闇が在ります。もちろん、ヨアキムは転落します。ほっといても瞬時に転落します。それなのに、お節介なことには、真っ暗な闇から、闇と同じ色の二本の手がニョキっと出てきてヨアキムの両足首を掴むと、闇の中に引きずり込んだのです。

ヨアキムは、もうすっかり忘れていた「絶対恐怖」というものに捕らわれてしまいました。全くヨアキムらしくない叫び声と共に、闇の中を落とされてゆきます。そして、濁流の中にたたき込まれてしまいました。