大穴へ

Ⅲ 大穴へ

その濁流は、おびただしい数の人間(他の生き物もいるはずですが、ヨアキムには人間の形に見えます)の濁流でした。一面すべてが濁流で、恐ろしいほどの速さで流れています。数キロメートル程先なのでしょうか、流れの向かう先には、大きな大きな穴が見えていて、四方から集まる凄まじい量の濁流は、すべてその大穴に流れ落ちて行きます。

考えるとか疑うとか、そんな悠長なことをしている事態ではなく、その大穴だけは入ったらおしまい。とんでもなく悪いものです。

大穴に吸い込まれる流れの中で、濁流構成員の生き物たちは、どいつもこいつも皆、逆方向に逃れようと必死で手を伸ばし、ヨアキムの身体には何本もの手が絡みついてきます。ヨアキムはと言うと、これも穴に背を向けて目の前の背中を掴んでは、少しでも「上流」に逃れようとあがいています。何遍も何遍も首だけ振り向いて、そのたびに「大穴」は近くなって来ます。どの顔もどの顔も、目玉が飛び出そうな顔つきで、中には本当に飛び出してしまった目玉をぶるさげている連中さえ居るのでした。

最後に、必死で前の奴の背中に爪をくい込ませ、自分も背中に爪をくい込まされながら、固まりになって大穴に流れ落ちて行きました。

物理の法則にしっかり則って、落下速度はどんどん速くなります。濁流構成員たちは、もうバラバラに離れてしまい、ヨアキムは一人で落ちてゆきます。あまりに速い落下なので、身体の構成員たちもバラバラになって、どっかに行ってしまいました。身体はもうないのに、ヨアキムはどこまでも落ちて行きます。

ものすごい速さで、いつまでもいつまでも落ちて行く間に、ヨアキムにはもう一つの「とんでもなく悪い事態」がわかってきました。

この穴から出るためには、この落ちていく高さを這い上がらなければならない。途中で手を滑らしたら、一番下からやり直し。

とんでもなく悪い事態です。

「とんでもなく悪い事態です」と言う間にも、何十年か掛けて這い上がらなければならない距離を落ちて行くのですから。