ヨアキム

Ⅰ ヨアキム

昔のインドにヨアキムという悪党がいました。

「昔のインド」とはどのくらい昔かと聞く人があれば、「細かいことは知らぬ、おそらく二千年ほど前のことだろうよ」と答え、それではそのころのインドには「ヨアキム」などという名前はないだろうと問いつめられれば、「君そんなことどうでもいいじゃないか」と言って済ます、そんな大胆な態度で、これからのお話は展開するのです。

ヨアキムは大変な悪人でした。

なにしろ山道で、地面を這う蜘蛛が目に入ったときなどは、 おせっかい極まりない嫌みな糸なんぞ、垂らしてもらわんでも結構だぜ、ケッ! というわけで、念のため踏みつぶしておく ・・・・・・ と、芥川先生に喧嘩を売るくらいの念の入った悪党でした。だからといって、生き物に苦痛を与えたり、命を奪ったりすること自体が好きということではなく、また、生き物の苦しみに対する感覚を欠いている人間であるというわけでもありません。むしろ感性にしろ知力にしろ、それはそれで人並みはずれたものを持っていたのです。

なにしろ、当時のインドに生まれ、「輪廻転生」なぞというその当時の常識的見方に浸されて育ったにも係わらず、ご自分の理性と経験から判断するに 死んで体が壊れれば心もなくなる という卓見(当時としてはね!)を持っていたのですから。

もちろん、当時のインドでもそのような学説はあったことでしょう。しかし、その学説の信奉者でも、 もしかしたら違うかもしれんぞ。違ってたらヤバイんぞ・・・なにしろ周りは違う見解を持ってるんだからなあ! ということで、それなりに気を使って生活をしていたのです。まあ、なんと言うか、そのように気を使うことが己の信条への疑念と感じるならば、むきになって「やってはいけない」を断行することもあったのですが、それでも内心はヒヤヒヤであったことでしょう。

そこへ行くとヨアキムの偉いところは、自分で判断した結果を心底受け入れたことなのです:

  1. 他の生き物を壊せば痛がる。確かにそうだ。
  2. しかし、それは他の体に起こること。痛みがあって嫌なのは自分の体の場合だけであり、
  3. その自分の体も壊されれば、そして「痛い」が行き着くとこまで行けば、痛いと思う心も壊れるのだがら、嫌な事態はちょっとの間のこと。
  4. まあ、長引くかもしれないけど、それは強い者に虐められた場合か、自分の体を自分で壊すことのできない弱者だけが味わうことなのだから、ようするに強者として生き抜いて、それができなくなれば自分で壊れればよいだけ。

という具合に,なんとも割り切った生き方をしたのでした。この単純な事実を何事にも惑わされることなく信条として、強くたくましく、飛び抜けた強者として、他の生き物に苦痛や長引く苦痛を味合わせながら、ドライに、ドライに、完璧にドライに生きていたのでした。