根本経典

3. 地表と地中

3.1 洞窟

水たまり

背後で水滴の落ちる音。

暗い洞窟の中では妙に大きく響く。思わず息を止めてしまう。

あれは水滴の音だったはずだ。そうでなければ・・・・・・ あいつらの足の裏が洞窟の水たまりで立てた音ならば・・・・・・逃げ道はない。

短刀を握りしめる。戦うには頼りない武器だが、これがあれば。連中の捕虜になることだけは避けられる。

覚悟を決めてゆっくり振り向く。

暗い闇がどこまでも続くだけだ。後ろに立つ影はなく、曲がりくねった洞窟の角にも、灯りらしきものは見えない。

聞き慣れた水滴の音なのだから、聞き間違うはずはなかったのだ。それでも。やはりホッとする。先に進むことにしよう。

カンテラは洞窟の地面を、ジメジメして所々浅く水の溜まった、そして得たいの知れない虫が這い回る冷たい洞窟の地面を照らしている。カンテラには、余計な方向に光が漏れないようにフードが付いているので、手元の僅かの範囲だけが見える世界だ。

このカンテラには、めったやたら高い油が使われている。給料のひと月分か、もう少しするのだろうか。通り過ぎた地面に油膜を残すことが少ない貴重な油なのだ。人が居た痕跡は、残してはならない。

大洞窟

洞窟の入り口は山の中腹にあり、ゴブリン大洞窟の真上に続いている。

} 洞窟の入り口! 太陽の下の世界。

乾いた岩肌に触れることができ、乾いた毛に覆われた生き物が眠り、乾いた羽を持つ生き物が高く舞い上がる世界。太陽と、それを遮りながら流れて行く雲。 本当に、そんな世界があったのだろうか。

三時間前にはそこに居たはずなのに現実のものとは思えない。ここでは、すべてが濡れていて、冷たく、暗く、狭い。生き物は居るのだが、温かい血が流れているとは思えない連中だ。こいつらも、冷たく、そして濡れている。これが現実の世界。その先は、好感を持てないどころか、嫌悪を物体として固めたような、動き回る悪意。即ち、暗く狭い地中の闇、ゴブリン。

そんな奴らだから、連中が大洞窟から地表に出て活動するのは、もっぱら夜だ。したがって、少なくとも昼間に限れば、地表は人間の勢力下にある。ただし、勢力下にあるとは言っても、警戒は必要だ。たまに遭遇することはある。それは連中なりに智慧を働かせた、偵察行動なのかも知れない。

夜は、ゴブリンの脅威は度を超えている。特に小規模の孤立した集落にとっては対処不能な脅威だ。今では、軍の駐留拠点から離れた小規模集落は、ほぼ全滅している。

軍事拠点と雖も安全ではない。最近は、大集団で本格的な攻勢をかけてくることもあるのだ。今のところは撃退できているが、ゴブリン集団の総数が掴めていないので、安心はできない。

ゴブリン大洞窟の入り口は、ゴブリン軍団が一団となって出て来るような大きなものから、洞穴と呼ぶのが相応しい小さなものまで無数にある。したがって、撤退するゴブリン軍団を追跡して入り口のひとつを確認し封鎖しても、あまり効果はない。大洞窟の規模は掴めず、そこに続く、もしくは大洞窟とは別の洞穴は無数にあり、全貌は不明。山脈に張り巡らされた毛細血管のような、いや、そのような品の良いものではなく、山脈の体内に蠢くイトミミズのような有様だ。

大洞窟に続く洞窟も、それなりの規模のものはともかく、無数の細い洞穴となると、おそらくゴブリンたちも、すべてを把握しているわけではないはずた。奴らが知らない入り口も、あるかも知れない。そして、実際にあった。つまり、ここだ。

教官

三十年前に戻る。と言っても私はまだ生まれていない。これは訓練所での座学で教わった話だ。 ゴブリンに知られていない洞窟を探し、そして偵察に使おうという危険極まりない作戦が続けられていたのだが、結局の所、大抵の洞窟は行き止まりであった。幸か不幸か大洞窟に続いているらしき場合には、ゴブリンと遭遇して犠牲を払いながら撤退するはめになる。すべてその繰り返しだった。それでも止めなかったのだから、なんとも執念深いことだ。

五年前に、この洞窟が発見された。ただちに入り口は慎重にカモフラージュされ、ゴブリンの注意を引きつけることを避けるために、部隊は、その一帯から移動した(偵察は秘匿が命である)。

この洞窟は、行き止まりの曲がりくねった一本道なのだが、大洞窟の、しかも、おそらく大洞窟のなかでも最重要の集会所らしき広い地下大空洞の真上を横切り、ちょうどそこに、大洞窟を見下ろすことができる小さな隙間が空いていたのだ。なんとも御都合主義の極みなのだが、罠ではなかったようだ。

そこから観察を続けることができるならば、一個軍団の値打ちを優に超える、貴重な情報が得られるはずだ。

予め設定されていた手順どおり、ゴブリン共の幼稚な知能を欺くために探索はその一帯を避けることになり、洞窟の再探索に掛かるまで一ヶ月の間をとったのである(三十年近く費やした成果なのだから、慎重になるのはわかる)。


二回目の探索は、ホート大尉ひとりで行った。途方もない勇気である。この功績により、そして現在の探索手法を確立した功績により少佐に昇進したホート教官殿は、全くすごい肝っ玉である。

確かに、後付けの理屈で言うならば、それほどの危険はなかったのだろう。洞窟の入り口近くには、作戦の途中で昼食をとっているという風情で小隊が留まっていたのだし、援軍を呼ぶ手はずも整えられていた。そして洞窟の奥で待ち伏せされる危険も、実はなかったのだ。

なるほど前回の探索も、もしかしたらだが、ゴブリンに見られていた可能性は否定できない。だからと言って、やつらが一ヶ月もの間、洞窟の中で根気よく待ち伏せを続けられるとは思えないのだ。連中は、高々ゴブリンである。しかも、万一待ち伏せをされたとしても、見破ることはできるはずだ。 ゴブリンの松明は恐ろしく質の悪い油を使っている。強い臭いの黒煙を上げジリジリと音を立てて燃え、油滴をふんだんに落とす。ゴブリンの通った洞窟には、独特の臭いが残る。我々が通常使うカンテラも褒められたものではなく痕跡を残すのだが、連中の痕跡は比較にならないほど露骨である。

冷静に考えれば危険はないはずなのだが、精鋭中の精鋭である探索隊の当時の隊員は、尻込みしてしまった。「当時の」と言ったが、我々がそのとき所属していたとしても、やはり踏み入る勇気はなかっただろう。ゴブリンに不意打ちをされ生きて捉えられるという可能性は、それほど恐ろしいのだ。

退却のさなかに傷を負い意識を失い、そして倒れた戦友にとどめを刺す役目の古参兵に気づいてもらえず取り残され、そして不幸にも意識を取り戻してしまった人間の身体で作られたおぞましい「作品」は、ゴブリンたちに囲まれて過ごしたであろう長い苦痛の時間を、ありありと見せつけるものだった。

そう、その点に関して言うならば、当時の隊員たちよりも、今の我々の方が分が悪い。偵察の「成果」のひとつとして、「作品」が作られる過程を知ってしまったのだから。

だが、おそらく、これほどの恐怖の源は、単なる苦痛ではない。あの、なんともおぞましいゴブリンの群れにたった一人で取り囲まれ、苦痛にのたうち回る姿が連中を喜ばせるという・・・・・・これは戦場での名誉ある苦痛とは真逆の、何と言えば良いのだろうか、そこだけには落ちたくない穢れと無惨の極みなのだ。

聞き間違うはずのない水滴の音にも神経を削られるのは、臆病故ではない。こういった背景があるのだから、当然なのだ。

洞窟の奥

それでは、任務に戻ろう。任務を果たすためには、奥に進むしかない。三時間掛けて辿ってきた濡れた洞窟の地面を後一時間、ヒトの痕跡を残さないように注意を払い、行動規定に従って手元の地面だけをカンテラで確認しながら、ゆっくりと前に進む。

ホート教官が偉大であることには、心底同意する。信じられないほどの肝っ玉の持ち主だ。しかし、もう少し凡人のことを考え欲しいものだ。いくら厳しい訓練に耐えてきたからといって、凡人は凡人なのだ。そもそも、通常このような任務は、少なくとも二名で行うはずだ。いくら少人数が目立たないと言っても、単独は辛い。しかも、洞窟の側面や天井をカンテラで照らす行為は禁止なのだ。確かに、枝分かれのない一本道であることは確認されているのだから、連中のたちの悪い松明から落ちる油膜がないことを確かめながら進めば安全であることは、保証されているはずだ。それでも、背後からいきなり殴打を受け気を失ってしまうという想像(ホート教官はこれを妄想と言う)を捨て切ろうとしても無理だ。

カンテラで確認したいという誘惑との戦いで、神経はズタズタにすり減らされる。それでも、目的地まであと一時間の辛抱だ。


なにやら嫌らしい音が聞こえてくる。だが幸いなことに、「作品」の制作に伴う音ではないようだ。恐怖と絶望、そして苦痛の叫びではなく、連中が集まって発生させている「音」のようだ。規則的に、なにかを叩いている。

敢えて分類するならば、この行為は「音楽」に属するのだろう。つまり、他の目的を持った行為に付随する音、たとえば石切場の音、ではなく、その音を立てること自体が目的なのだろう。だが、これは断固として音楽ではない。音楽は、それが静かなものであれ勇壮なものであれ、なんらかの「美しいもの」、「良いもの」のはずだ。つまり、心の在り方を高める「音」でなければならない。

しかし、連中の発する規則的な打撃音は、単に「得体の知れない何か」を誘発するものに過ぎない。実に嫌な連続音である。それが止むことなく続く。いつのまにか、頭の中が同調してしまう。まったく、嫌な任務だ。任務は好き嫌いで選ぶものではないのだが、耐えがたく、おぞましい。

探索口は、直ぐそこだ。連中の発する「音楽」は、かってない異様な盛り上がりを見せている。探索口を隠す小岩を少しずつどけて行く。嫌らしい打撃音が頬に直接あたる。凄まじい盛り上がりだ。驚いたことに、連中は

蠕動 蠕動 蠕動 蠕動 蠕動 蠕動 蠕動 蠕動
蠕動 蠕動 蠕動 蠕動 蠕動 蠕動 蠕動 蠕動 蠕動 蠕動

しているのだ。

断固として、これは「踊り」ではない。連中の体内に寄生した、尻から肩までの背骨に張り付いている一匹の大きな寄生虫が、打撃音の衝撃で痙攣しているような有様だ。醜悪だ。醜悪そのものだ。だが、輪を作って蠢いているのだから、連中からすれば、これは踊りなのだろうか。

蠕動運動は渦を描くように盛り上がって行き、更に渦を描きながらぐねぐねと中心に押し寄せ、そして、
突然の停止、一瞬の空白を挟んで連中、身体が潰されたかのような絶叫と共に一斉に上体を反らし、仰向けに見上げる醜悪な顔に赤く光るすべての目玉が、こちらを凝視する。

見つかった!


絶望と恐怖、そしてそれ以上に形容しがたい嫌悪。胃の中身すべてが吹き上げてきた。 それでも、辛うじて、大きく膨らませた頬の内側にせき止めたのだが。

こんな所で教官殿のわけのわからない訓練が役立つとは。なにしろ、目隠しをされ発泡酒をたらふく飲まされた後で、いきなり腹を殴られるのだから。命令されていたことは、ただ一言。「一滴のゲロも零すな」。

直ぐに冷静さを取り戻す。「見つかった」というのは、思い違いである。いや、思い違いである可能性が高い。だが、行動規定に従って、異常事態、この場合は口内の吐瀉物、が生じた際には、ただちに作戦を打ち切り撤退しなければならない。冷静に小岩で観察口を塞ぎ、撤退を開始する。

それなのに、振り向くことができない。振り向くことにより、「見つかった」のではなく ここに居ることが知られていた というストーリー(つまり妄想と言われてしまうもの)が現実になったら・・・・・・

身体はこわばり、這いつくばって岩を握っている手は、指が折れそうに力が入っている。どうしても振り向くことができない。

帰還

何分の時間を失ったのか、今となっては分からないが、頬を膨らませる吐瀉物が理性を取り戻してくれたのだろう。やっとの思いで振り向く。これから四時間を費やして戻って行く曲がりくねった洞窟は、闇で満たされている。連中の影はなく、曲がり角に灯りは見えない。

吐瀉物を処理することにしよう。行動規定によれば、「身体から出るもの」をくい止めることができなかった場合には、水を入れた革袋を空にしてそこに収納することになっている。ただし、観察口から、少なくとも三百歩離れてから。

四時間という、今となっては絶望的に長い行程に、三百歩という区切りが付けられたことで、なんとか気力を引き起こすことができたのだろう。その結果、最後の手段、すなわち、毒薬を飲むこと、つまり、体液やうめき声を流出させずに即座に死ぬことのできる毒薬を使うことなく、帰還することができたわけだ。

自分だけの問題ならば、あの時毒薬を選んだいただろう。教官の言い方を借りるならば、赤い目に凝視されたときからゴブリンに負けていたのだ。帰路で通らなければならない数々の曲がり角を曲がる度に、「灯りが見えるかも知れない」という絶望の可能性が待ち構えているのだ。もし灯りが見えてしまったら。そして、もし恐怖のあまり走り出してしまったら。叫びながら走るだけで最後の望みの毒を飲むことができなかったら。今なら間に合う。ゴブリンの姿を見ずに死ぬことが出来る。

だが、未帰還の処理は、戦友にとって迷惑極まりないのだ。

未帰還から半年の間、完全な無視をする決まりである。つまり、脱走兵か気の触れた兵が偶然迷い込んでしまったのであり、行方不明になっているという体裁をとるのだ。腐臭によりゴブリンに気づかれたとしても(あいつらは、悪臭を放つくせに妙に鼻がきく)、観察口の存在まで気づかれてはならない・・・・・・そうだったのか。教官を殴りたい。軍の行動は通常二名以上だからこそ、一名の死体なら脱走兵。なんという人だ。

その教官殿の定めた手順により、その後、処理にかかる。最初は、気の毒なことに勇敢な一名が探索を行う。腐乱死体、というよりは洞窟の虫たちの食べ残しを見つけて袋に収納し、たった一人で背負って帰らなければならない。それから、ひと月以上の間隔をあけて、交代で「クリーニング」を行うのだが、この作業はつらい。恐怖と緊張は同じなのに、やっていることは軍事偵察ではなく掃除なのだから。以前に、一回だけクリーニングを担当したことがあるが、わたしの頭蓋骨の内側は、緊張に耐えられず自殺した新人と、そして彼を送り込んだ尊敬すべき英雄「ホート少佐殿」への罵詈雑言が渦巻いていたことは自白しておこう。ひょっとすると、唇も動いていたかも知れない。

つまり、そのときの経験に助けられて、生還したのだ。

3.2 その後

昼の戦い

洞窟からなんとか帰り着き、それから半年後に大きな戦いがあったのだが、そのときになって初めて、{\gt ゴブリン蠕動} の意味が明らかになった。ゴブリンの群れも、いわゆる「陣を敷く」という行動をとるのだが、我々が既に整然と横隊を展開している丘を下った低地にゴブリンの群はぞろぞろと現れ、それから奴らの「音楽」を開始した。今となっては、それが「軍楽」というものの原形であることは確かなのだが、連中は行進をするのではなく、大洞窟の集会での蠕動と同じく、ぐるぐると回り続け、そしてあの絶叫とともに反っくり返った。明るい日差しの下で見ると、恐ろしいと言うよりは滑稽である。そして、それから隊列を組み始めた。

奴らの今までの横隊展開と異なる点は、ひとつだけ。ゴブリンと雖も金属の武器を使うのだが、分厚い横隊の全面に一列だけ展開した、なんとも獰猛な面貌の連中だけは、重そうな尖った石を手にしていたのだ。それから再び、あの「軍楽」と蠕動運動が始まり、全軍の絶叫と同時に、手にした石で自らの醜い顔面を打ち砕いた。

勇気と言うならば大したものなのだが、こんなものは勇気ではない。恐怖に立ち向かい行動するのではなく、単に恐怖を投げ捨てているに過ぎない。愚かな行為である。やってみろと言われてもできないことは認めざるを得ないが、愚かしいことに変わりはない。

なかには、一撃で「死に至る」ことに失敗した連中もいる。失敗したくせにもう一度試すのだが、痛みを味わってしまった直後では、これはできることではない。何遍か失敗した連中は、頭を抱えてうずくまり、泣き始める。これで良いのだ。これが見苦しさを極めたゴブリン本来の姿である。

連中が嫌悪をかき立てる生き物である理由は、その醜さと残忍さもあるが、なによりも負けて捕らわれそうになったときの見苦しい振る舞いに尽きる。足にすがりついて哀れ極まりない声で泣き叫び、命乞いをするのだ。そのような振る舞いは嫌悪を掻き立て、即座に殺してしまわないと耐えられない。これぐらいは分かっていてもらいたいものだが、それでも縋りついてくる。もっとも、ゴブリンが気高く死を受け入れようとすることがあっても(そんなことはないのだが)、生き延びる可能性はない。

兎に角、見苦しく矮小な連中である。


劣勢

その時の戦いは、こちらは最初の馬鹿げた儀式に驚かされ、連中は妙に勢いづいたのだが、なんとか勝利を収めた。だが、戦いの様相は、これまでとは異なっていた。連中は、変態を遂げたのだ。今までは、個々の矮小な生き物の集合に過ぎなかった集団が、ひとつの生命体に変わったかのような戦い方をするのだ。どうやら、集団に溶け込み、個別の死を忘れているようだった。

初戦には勝ったものの、この愚かしい集団がヒトの組織だった戦い方を真似て行くにしたがって、ヒトの軍勢が次第に不利になって行くことは、必然だったのであろう。

そして、もう一つの要点。人とゴブリンの戦いと並行して、どちらの側にも内部抗争はあったのだ。まあ、残念なことだが、そんなものだ。ついでに言うならば、同族の戦いの方が、入り交じっての戦いなので、犠牲者は多い。

ここまではやむを得ないと言えばやむを得ないのだが、ひどいのはここからだ。あの見苦しい命乞いと服従の試み。こんなことが連中の強みとなるとは、予想もしていなかった。

内部抗争に敗れたヒトの集団は、殺されるにしても奴隷になるにしても、誇りは失わない。奴隷として生涯を送ることになっても、それは敗者としての不本意な服従を受け入れているに過ぎない。最後まで頭を高く上げて、敗者としての誇りを貫く。このような奴隷は、生かして置くにしても、せいぜい単純な労働にしか使い道がない。


ところがゴブリンは、負けた途端に泣きわめき縋りつくのだ(ゴブリンがゴブリンに縋りつく姿は、まったく見苦しく滑稽である)。しかも、殺されずに奴隷となると、媚び縋りつくあまり、本当に、全く何と言うことか、その集団の最下層であるにもかかわらず最も信頼しうる服従者に変わるのだ。結果として、内戦に伴う死者という損失があるにしても、集団は大きくなり結束は強固になる。つまり、個々の矮小な弱さは、集団にとっては強さだったのだ。

3-3. 三万五千年の歴史

ヒトとゴブリン

洞窟でゴブリン蠕動に遭遇したのは、私が生まれてから僅か二十七年のことであり、それは今からおよそ三万五千年前のことである。いったいどんな理不尽な理由で、また、いったい何時、このような「不死」を押しつけられてしまったのか、それは今でもわからない。ふざけた話だ。

物語が数万年の時間を必要としたのであり、物語の主人公には数万年の寿命が必要だった、といった所だろうか。そんな安直な理屈しか思い付かない。だが、世の中は、そんなものだ。とにかく、理由は何であれ三万五千年の間、このような老人の姿で生き続けたのだ。

さて、ゴブリンとヒトという異種の生き物だが、不愉快な事実がある。ヒトとゴブリンは、広い意味では同種なのだ。ゴブリンはヒトの女を妊娠させることができ、また、ヒトは牝ゴブリンに子を産ませることができる。

実は、この事については、洞窟探索を行っていた頃には、厳重に秘匿されていたとはいえ、すでに知られていた。ヒトの女の妊娠については大洞窟の偵察により、そして牝ゴブリンについては、ある実験の結果として。

ホート少佐がとんでもない肝っ玉の持ち主であることは確かだが、牝ゴブリンを妊娠させた「あの軍曹」(氏名は黒塗り)の肝っ玉はそれ以上かも知れない。なにしろ、あの悪臭を放つ醜悪な牝ゴブリンを・・・・・・想像するのもまっぴらだ。そして牝ゴブリンは出産したのだが、ゴブリンがするような残酷な処置はしない。仮にも半分はヒトなのだから、厳重に隔離されてだが、母子で暮らす環境は整えてやった。だが、食事を運んでやる度に繰り返される牝ゴブリンの媚びへつらいは、子供のためとは言え、あまりにも見苦しい。

幸いなことに、「同種」といってもやはり異質な部分も多いらしく(当たり前だ。見かけも知能も全く異なる)、子供は成長することなく病死してしまった。さて、牝ゴブリンだが、さすがに長く飼っていると気の毒になるもので、苦痛も恐怖も味合わせることなしに、うまく処置してやった。ヒトは情け深いのである。

ゴブリンの世界へ

ヒトの戦術を真似るうちに、それとも日の光の下で暮らすようになったためなのか、少しずつだがゴブリンはヒトに似てきた。 もちろん、以前よりはヒトに似てきた、という意味だ。醜悪であることには変わりない。だが、無意味な残虐さは薄らぎ、そして、不幸にして「同種」である結果として、ゴブリンにヒトの血が混ざっていったのであろう。ゴブリンの醜悪さは幾分かはやわらぎ、ヒトの姿に近づいてきた。

ヒトの姿に近づき、ヒトの技術を真似て取り入れていったのだが、それでも最後まで変わらないゴブリンのゴブリンたる所以は、「気高く美しいもの」を希求する精神を欠くことだった。

以前に変わらず、ゴブリンが熱狂するのは打撃音の単純なパターンが引き起こすエモーションと、それに突き動かされた蠕動運動への溶け込みだけであった。


およそ三百年の戦いの結果、ヒトの世界は敗北した。

最後の敗戦では、自ら命を絶ったものを除けば、殺されたヒトは少ない。残りのすべてのヒトはゴブリンの奴隷となった。

だが、それまでの戦いで、ゴブリンはあまりにもヒトの技術を真似て、それに依存してきたのだ。ヒトという奴隷の使い道は、力は牛より弱いが言葉で指示できる動力源として酷使するより、ある程度の環境を与えて技術集団として利用する方が適していたのだ。ヒトを惨く扱う集団もあったのだが、そいつらはゴブリン間の争いに敗れ、衰退していった。

結果として、ヒトは支配者であるゴブリンの武装を整え、戦術を指揮し、行政を行い、工芸を発達させ、教育を行いと、要するに「奴隷」という階級名を除けば支配階層になっていったのである。なんと言っても、圧倒的な知力の差があるのだから。

敗北から五百年程の時を経て、最初は一般の「奴隷」という言葉で呼ばれていたヒト階級は「ヒト奴隷」に名称を変え」、いつのまにか、その言葉は神官という意味を持つように変わっていった。つまり、「神官」は、語源としては「ヒトである奴隷」なのだが、語源を辿る記録はすべて神官集団が抹消してしまったので、神官に属さない「その他大勢」は、「神官」は神の言葉を告げる聖なる職の名称と思い込んでいるのだ。そう、神官は、彼らが教える知識が彼らの高い知能に由来しているという事実を隠し、神の言葉を賜っていると教えたのだ。

ゴブリンと言わず「その他大勢」と言ったのたが、実際、その頃になると混血が進み、神官集団として隔離された集団以外では、ヒトとゴブリンの区別は難しくなっていた。そしてご想像の通り、神官集団と雖も、純血を守り抜くことは難しい。神官集団は次第に人数を減らしていった。

そして神官という支配階層の安全は、それが支配する集団の運命に依存する。その集団が他の集団に敗北すると、神官集団も無傷では居られない。支配層であることは危険を伴うのだ。神官集団は、分散し、いわゆる「賢者」として孤立して暮らす道を選んだ。

神官集団として、そして賢者として繰り返し試みたことは、「その他大勢」つまりゴブリンの末裔に「気高く美しいもの」を教えることだった。知識と技巧を教えることはやさしい。ゴブリンの末裔という濁った血であっても、それなりの知性は持ち合わせているのだ。だが、精神を教えることは難しい。

一時的には、具体的には数十年から数百年の間ならば、「その他大勢」も「気高く美しいもの」に憧れることもある。驚くことに、素晴らしい音楽を作り出すこともある。だが、やはり連中には少々退屈なのだろう。遅かれ早かれ、エモーションと蠕動運動に回帰してしまう。こればかりは、どうしようもない。そもそも、これこそが連中が勝利を収めた根源なのだから。

今では、純粋なヒトという生き物は、私ひとりなのだろうか。

ゴブリンよりはましであっても、ヒトの寿命は長くはない。私のような「不死」の者ならば、当然、純粋なヒトなのだが、「不死」のヒトは他に居るのだろうか。居たとしても、彼らも身を隠しているのだろう。出会う手段は無い。

今となっては、私が知る限りでは、「賢者」という職種(?)は、連中の中で比較的知性の優れた変わり者で占められている。「神官」に至っては、知性が優れているかも怪しい。

帝王

ところで、恥ずかしいことだが、私は全世界の帝王というものに成ったこともある。なにしろ知能の違いは歴然としているのだから、その気になれば今でもできると思う。だが、そんなことは止めた方が良い。全世界を支配すれば、平和を保つことはできる。だが、その支配は「念力」により個々に臣民を直接動しているのではなく、知性により直接操ることができる少数の側近を動かしているに過ぎない。その少数の側近が多くの高官を支配し、彼らが軍人と官吏を動かし、と段階を経なければならない。結局の所、厳しい律法と刑罰が必要になるのだ。刑罰はすべて私の名の下に。これは気持ちの良いものではない。

しかも、平和で退屈な世の中は、蠕動運動を求める本能を呼び起こすらしい。整然と保たれている制度は、「一体感に溶け込む」原始的な衝動の対極なのだろう。

蠕動運動の一体感により集団が一つの生命体に変異し巨大化していく傾向は、極めて危険である。法と秩序の支配により弾圧をするのだが、所詮はゴブリンの末裔である。蠕動は伝染病のように拡がって行く。

めったやたら豪華に飾り付けられ、ただ単に権威を主張する目的故に無闇に天井の高い広間から、これ見よがしに大理石の柱が立ち並ぶ回廊へと歩み出て見よう。

そこには姿勢を正した近衛兵の後ろ姿がある。こちらには気づいていないのだが、さすがは訓練のたまもので姿勢に揺るぎはない。だが、その膝は微かに蠕動を続けている。頭蓋骨の内部には、あのおぞましく単調な節回しが繰り返されているのだろう。近衛兵であっても、このざまだ。弾圧の元締めとなるはずの憲兵たちもまた、歩哨に立つ退屈な時間の膝に、蠕動が生じている。

もはや、帝国の崩壊は時間の問題である。帝国を四名の賢王の支配にまかせ、少数の部下を連れて「東の海原の果て」に旅立つことにした。そして未開の小さな島で「神の遣われし酋長」として暮らし、四十年の年月を稼いだ。それから辺境と、帝王の尊顔はコインでしか知られていない遠方の王国を渡り歩き、もとの帝都に戻ったのだが、その頃には、あたりはゴブリンの末裔らしいいつもの世界に戻っていた。おそらく、これで良いのであろう。

3-4. そして今

三万五千年の生涯を生きて初めて、病気というものにかかることができた。何十万という「他人の死」には出会って来たのだが、これで初めて、「自分の死」というものに出会うことができる。

「賢者」というよりは「隠者」として、奥深い森の巨木の根元に座っている。そして、病で力を失った身体を横たえる。素晴らしい。

虫が身体を這い、血を求めてしきりに刺しまくるアブが飛び回っている。存分に血を吸ってくれれば良い。だが、虫が這うのは、気が早すぎるようだ。虫たちの出番はもう少し後だ。

さっきから、互いに牽制しながら、大小の獣たちが様子をうかがっている。獣たちは、そろそろ、食事にかかっても良いと思う。

大胆な一匹が腹に牙を入れる。うまそうに内臓を引き出している。

もちろん、痛い。すさまじく、痛い。だが、それは「空が青い」、「木々の間から日差しがキラキラとこぼれている」、「落ち葉で覆われ湿っている」といったことと同じで、「そこにある」というだけのもの。すばらしい。

三万五千年も生きてきたのだから、感覚を遮断して「痛い」を感じないくらいの技は、簡単にできる。だが、「痛い」が「ただそこにある」という経験は初めてだ。すばらしい。「痛い」につきものの筋肉の硬直も生じない。なるほど病気で死が近づいているだけのことかも知れないのだが。

なによりも素晴らしいのは、獣たち(今は何匹が召し上がっているのだろうか)が喜んでいることだ。飢えに苦しんでいた獣たちが、満足そうに肉を食べている。なかには、なにを怒っているのか分からないのだが、わたしの顔を見つめて憎らしそうに後ろ足の爪で傷つける子もいる。実に、可愛い。

三万五千年も生きて来て、世界の帝王も経験していながら、獣たちの餌食となった一頭の鹿と同じ程度の食事を提供しているに過ぎない。そんなことを私が喜んでいる。奇妙と言えば、奇妙なことだ。

だが、今初めて、他の生き物の喜びを喜ぶことができたようだ。世界の帝王であるときにせよ、賢者であるときにせよ、その慈悲深さを称えられ心からの感謝を献げられたことならば、いくらでもある。だが、あの絶叫の中で背を反らしたゴブリンの赤い目に見つめられて以来、心の底には常に、どうしようもない嫌悪があった。慈悲深く教え、慈悲深く導き、慈悲深く支配しながらも、嫌悪の感情を消し去ることはできなかったのだ。まだ純粋なヒトという種族が生き残っていた頃でさえ、純粋な同族に向ける親愛は、ゴブリンへの嫌悪の裏返しでしかなかった。三万五千年も生きて来て、今初めてそれに気づいたのだから情け無いことだ。

だが、僅か三年かそこら生きた後に肉を与える鹿も、三万五千年の生涯の末も似たようなものだ。三年という時はあまりにも長く、また、振り返れば一瞬である。振り返れば、あの無数の赤い目玉に見つめられた時から、ほんの一瞬しか経っていないような気がする。

価値ある瞬間は、今まさにこの肉を与えているこの瞬間なのだ。

あのゴブリンたちも、食べに来てくれれば良いのだが。

ミミズ

アスファルトの上で干涸らびたミミズは、もう、とっくに死んでいても良い頃なのですが、じいさまの側で目を覚ましました。

おかしな夢を見ていました。わたしはヒトという生き物だったのですよ! そして、ゴブリンという生き物がいて、わたしは三万五千年も生きていたのです。本当におかしな夢。でも、変です。三万五千年の間にあったことは全部、私が話した言葉、聞いた言葉、音、あんなに魅力を感じたメスの姿、道ばたの草の模様まで、はっきりと覚えています。あれは、本当に夢だったのでしょうか。

それなのに、あの静かな世界のことは・・・・・・もう一度ミミズとして生きる前に連れて行ってもらった、あの静かな世界のことは、なにも思い出せません。どのくらい長く、そこに居たのでしょう。ミミズとして生きて来た時間も、ぼんやりして、なんだか良くわかりません。

じいさまの声が聞こえます。

それで良いのだよ。ミミズ。だが、はっきり思い出せるのは今だけだ。影響だけが残る。

ミミズは、しばらく考えています。

そうなのですね。でも、どうして、あの静かな世界から、あんな惨たらしい世界に行かなければならなかったのでしょう。

じいさまの答えは、とても短いのです。

それで良かったのだよ、ミミズ。

答えになっていないのに、ミミズさんは、それでも良いのでしょう。

そうなのですね。それでは、もう一度、あの静かな世界に連れて行ってもらえるのでしょうか。お願いです! これからずっと、あの世界に居たいのです。

今度も、短い答え。

そう望むなら、そうしてあげよう。

ミミズさんは考え込んでしまいました。ずいぶん長いこと。そして尋ねます。

あの夢の中で起きた出来事は、そこに戻って変えることができるのでしょうか。もし、できるならば・・・・・・

短いとは言え、すこし長い答えです。

できるとも言えるし、できないとも言えるのだが、できる。

これでいのか疑問なのですが、ミミズさんは、これで良いようです。

変えることができるのですね。それならば、一つだけ願いを聞いて下さい。あのゴブリンのメスとその子を助けたい。

じいさまのお言葉です。

それで良いのだよ、ミミズ。
世界はほんの少ししか変わらない。お前が助ける「ゴブリンとヒトとの子」が子孫を増やし、ヒトの世界を征服することになる。それだけの違いだ。世界にとっては同じ事だが、お前にとっての世界は変わる。
良いのだな、ミミズ。それならば、行きなさい。
大地の女神が迎えに来ている。だが、ミミズである故に、女神の魅力で取り込むことはできない。私の手伝いが必要だな。それでは、行きなさい、ミミズ。

じいさまは、巨大な鬼の姿になり、その手に持つハンマーの一撃で、ミミズの身体をパッカーンして、千の破片に砕きました。破片は、女神さまのおからだに吸い込まれていきます。


そしてちょうどその時、ダスキンを配達する小さな車がアスファルトの上の乾燥ミミズを、そのタイヤで粉々にして排気ガスで吹き飛ばしながら通って行ったのでした。