最後の十回
この仕事は、およそ緊張という事とは無縁だったのです。パーティーにそっと忍び込んで(失敗して見つかる可能性は皆無です。わたくし、神ですから)、そして贈り物を置いてくるだけ。緊張する要素を見つける方が難しいのです。
しかし、この永遠の十九歳という特殊ケース,これは別でした。
「この四人を担当せよ」との指示書が、ある日、郵便受けに入っていたのです。驚きました。そして、このケースは緊張する要素の宝庫だったのです。本当に混乱してしまいました。だから気持ちをはっきりさせるために、整理してみたのです。
まず、なんと言っても,贈り物が「小さな」ではなく「死」だということ。ここからして、通常業務とは大違いです。
しかも、そっと置いてくるのではなく、彼らに姿を見せなければならないのです。
そして、その姿は、彼らにとっては「死」・・・どうなっているのでしょう。
しかも、しかも、更にです! 今まで限りなく繰り返してきた彼らの「十九歳の誕生日」が、後十回で終わるのです(こうなると、何に対して混乱しているのか分からないほど、理解不可能です)。
振り返ってみると、この辺りまでは、混乱し緊張することが理解可能な混乱です。しかし、妙な話なのですが、その時の最大の緊張の元は、「担当者が変わった」ということだったのです。つまり、担当が変わって初めての「お誕生日」で私が姿を見せたとき、彼らがどんな顔をするのかということだったのです。
「初めまして、私、このたび・・・」
と言うでもないし。
そうです。言われなくても分かってはいるのです。彼らに「姿を見せる」と言っても、その「姿」が「私が私と思って鏡に見ている姿」と同じかなんてわからないし、第一、彼らは「前世の記憶」なんて無いはずだから、「担当が変わった」ということが彼らにとってなんなのか、もう、全く意味不明なのです。大体、突然「死神」が現れたのに、その死神が
「あの、私、このたびから犠牲者様を担当させていただくことになりまして」
なんて言ったとしたら、あんまり信頼できない死神だって気がして、安心して死ねませんよね? つまり、こんな事は気にすべき事ではなかったのです。それなのに、そんなつまらないことが、一番の緊張要因だったわけです。
ところで、「担当が私になったこと」、これは誇りに思って良いことなのでしょう。「最後の十回」ということは(途中で担当を変えられない限り)、最終回を担当するわけであり、これは私が「一流の誕生日神」として認められたということを意味するのではないでしょうか。
と、ここまでは良いのですが、本当のことを言うと、色々な噂はともかく、私は他の「誕生日神」を知らないのです。本当に本当のことを言うと、他の「誕生日神」というものが存在するのかも知らないのです。つまり、日本語ならば良いのですが、英語のような「不定冠詞」と「定冠詞」がある言語だったら、いったいどうしたら良いのか・・・
I am a 19 years old happy birthday.
なのか、それとも
I am the 19 years old happy birthday.
なのか。「神」だからといって、郵便受けに指示書が入っているような「神」ですから、大文字で
I am 19 Years Old Happy Birthday.
は図々しい気がします。god もつけたくないのです。ましてや、God なんてあり得ません。それから、わたし、絶対に抽象概念ではありません。ちゃんと存在しているのです。だって「思っている」のですから。あの「変な髭」で有名なフランスのカルトさんだって、存在するって認めてくれるはずです。
でも、どうしても抽象概念だって言うなら、それでも結構です。いくら主張したって、
「思っている」のではなく、ここには単に「思っている」という文字列が並んでいるだけ
と言われてしまえば、それまでですから。ええ、もう結構です。
I am 19 years old happy birthday.
これで良いことにします。どうせ「誕生日神」なんてエーテルみたいなものなのでしょうから。
話を戻しましょう。そうですね、他にも、死と最後の死がどんな風に違うのかも、気になりますよね。でも、これについては何の説明もありませんでした。
それから「姿を見せることが死」ということなのですが、これについては、はっきりとした説明があります。
「姿を見せるだけで、すべて完結する。後のつじつま合わせは、クリーナの仕事である」
ということです。つまり、周囲の世界との整合性は気にするな、ということですから、気にしないことにしましょう。
さて、こうして一回目(私の担当になって一回目という意味です)の十九歳の誕生パーティーを迎えます。そこまでの過程は、一回目だけあって典型的な「 Boys meet girls 」。これは省略に値します。 Katz くんはクララさんと、Auer くんは メイちゃんとめでたくカップリングが成立して、仲良く四人だけのお誕生日パーティーが始まっています。すごくリラックスして、お幸せそうに。それなのに、私だけはカーテンの後ろでドキドキしているのです。これでは、
「みんなでサプライズパーティー」と知らずに誤解して、「彼女だけにサプラーイズ!」を狙って裸で登場し
ようとした寸前に気がついてカーテンの後ろから出られなくなった「お間抜けボーイ」そのものです(普通は飛び出しちゃうのだから、それよりはましかもしれませんが)。
ためらったのです。ためらったのですが、私はプロです。覚悟を決めてカーテンの後ろから、静かに登場しました。
客観的に言うならば、起こったことは二つだけ。まず、彼らの表情が変わり、それから、姿が消えていったこと。
そうなのですけど、彼らの表情を見た瞬間に、私は分かったのです。彼らはなんの「前世記憶」もなしに生まれて、十九年の生涯を過ごし、そしてここに集まったのですが、それは、私が姿を見せるまでのこと。私の姿を見た瞬間に、彼らは、今までのすべてのことを「思いだ」したのでしょう。とても静かな目でこちらを見て、それから互いに、時間にすればちょっとの間だけですけど、十九年間の関係などという、水面に映る月の如き一瞬のものを遙かに超えた「長いおつきあい」を確かめ合って、それから消えていったのです。
それともう一つ、私を見た表情も、「初めまして」ではなかったのですが、私がどんな姿で見えているのか分からないのですから、それはそれだけのことだったのかもしれません。